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避難民重なる境遇 「ロシア」起因平和考える夏に 千葉から秋田へ 千葉通子さん(84)千葉市若葉区 【戦禍を逃れて 疎開77年目の記憶】(下)

2022/8/20 5:00 (4/15 14:09更新)
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 7歳だった1945年7月7日、千葉市の中心市街地が攻撃された千葉空襲(七夕空襲)で被災。空襲で焼け野原になった千葉市から、母と幼い弟と妹と共に親戚を頼り秋田県へ避難した。ロシアのウクライナ侵攻を受け、国外へ避難を余儀なくされるウクライナの家族を見ると、当時の自分たちに重なる。「もうこんな悲しい思いをする人が、これ以上増えてはいけない。平和とは何か、いま一度考えてみてほしい」と訴える。

 日中戦争が始まった37年に、千葉神社(千葉市中央区)近くで生まれた。物心つく頃には、世間は戦争一色。院内国民学校に入学した44年には戦況は悪化の一途をたどっており、授業中には頻繁に空襲警報のサイレンが鳴った。

 忘れもしない7月7日の夜。空襲警報で起こされ、母と5歳の弟、まだ1歳にならない妹の4人で近隣の田んぼに避難することになった。道路は逃げ惑う人であふれ、住宅や学校が真っ赤に燃えていた。路上には焼夷(しょうい)弾でなくなった人が黒い影のように横たわっていて、それをまたぐようにして火の手から逃れた。妹を背負った母の手を弟と一緒にしっかり握って「とにかく必死に逃げた」。...

 朝、目が覚めた時には市内の様相は一変していた。千葉駅から県庁まで見渡せるほど建物は何もなくなり、がれきの山。都川には多くの遺体が折り重なっていた。自宅も跡形もなく焼失。住む場所を求めて秋田県横手市にある母の実家に向かった。

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