本の贈り物

■プロフィール
藤原あずみ イラストレーター。1958年長野県安曇野市生まれ。佐倉市在住。主な作品は「野あそびいっぱい 植物編」(萌文社、中山康夫著)、「お話とあそぼう」(一声社、末吉正子著)など。「第18回小さな童話大賞 山本容子賞」、「第9回ミツバチ絵本コンクール佳作」、「第48回千葉文学賞」など受賞。


「幸せのボタン」 『アンナの赤いオーバー』

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 「ボタン、ひとつちょうだいよ」。乗換駅に急ぎ足で向かっているさなか、ふいに声をかけられた。振り向くと、歩道脇のレンガ壁の前に、ダンボールやビニール袋を携えた人たちが肩を寄せて座っていた。陽だまりの中から立ち上がり、気のよさそうな笑みを浮かべたのは、初老の男性だった。

 「えっ、ボタン?」。思わずコートの胸に手がいった。そこに並んでいたのは、大きな八個のボタン。そのうちの四個は飾りボタンなのだが……。首を振って歩き出した私の後ろから、声が追いかけてきた。「幸せになりたいんだよう」。同時に、座っていた仲間からどっと笑い声が上がった。どうしていいかわからず、私はそのまま駅に向かって歩き出した。彼は仲間たちに、道化役を演じて見せたのだろうか。それとも道化は、私の役回りだったのだろうか。きらびやかな商品でにぎわうデパートの前を通り、駅の改札を抜け、ホームに佇んで電車を待つ間も、幸せになりたいと言った彼の声は、私の耳から離れなかった。ボタンと幸せを結びつけたのは彼の思いつきだったのか、それともどこかにそんなお伽噺があるのかはわからない。しかし、幸せとボタンの結びつきに、妙に心が揺さぶられた。幸せとは、まさしくボタンのようなものかもしれないとさえ思えてきた。日常というボタン穴を出たり入ったりしながら、過去と未来をつなぎとめている。掛け違えればとんでもないことになるし、しっかりと括りつけておかなければぶらぶらと頼りない。或いはふいに、糸が切れてどこかに転がって行ってしまう。そうかと思えば、唐突に人から欲しいとねだられることだってあるのだ。幸せになりたいと言ったあの人の、幸せとは何だったのだろうか。哀しいようなおかしいような気持ちで、時々、あの声を思い返す。

 物があふれかえり、人々が浮き足立つこの季節。ぜひ手にとって欲しい一冊の絵本がある。

 「戦争が終ったら、新しいオーバーを買ってあげようね」とお母さんはアンナに言う。しかし、戦争が終った街から物は消え、アンナのお母さんも肝心のお金を持っていなかった。そこでお母さんは、お百姓さんの所に行き、金時計と引き換えに羊の毛をもらう。その毛をランプと引き換えに糸に紡いでもらい、紡いだ糸をアンナとお母さんはコケモモの実で染める。ポットや首飾りと交換に、その糸を織って仕立ててもらい、アンナの赤いオーバーは一年がかりで出来上がる。新しいオーバーを着たアンナは、お百姓さん、仕立て屋さんたちを呼んでパーティーを開く。羊たちにもオーバーを見せに行く。

 お金を出せばすぐに何でも手に入る世の中では、決して味わうことのできない幸せが、この絵本の中に描かれている。相手を思う心、辛抱強く待つこと、感謝の気持ち。たくさんの人の手を経て、長い時間をかけて生まれた一着の真っ赤なオーバー。それはひとりの少女のこれからの生き方をも示唆している。効率主義の世の中で、便利さと引き換えに捨て去ったものの中にこそ、幸せのボタンは転がっているのではないか……かけがえのないものとして。...

 【メモ】「アンナの赤いオーバー」ジーフェルト・文/ローベル・絵/評論社

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