少年農兵隊慰霊碑

  • LINEで送る

 先週(9月20日)当欄のテーマは「目の当たりの人間愛」で、市原市島野の山口家を介し、無心な人間愛のぬくもりに触れた。

 ぬくもりの発信主である山口統正さんは5年前に亡くなられたが、その人情味は他分野にも通じていた。

 平成12年の「広報いちはら」に、当時市原市長だった小出善三郎氏の連載エッセー「市長のめがね」があり、タイトルは「私が書いた慰霊碑」だった。

 -市内海保、市営墓地への通り道。遍照院境内の一隅に、「成吉思汗(じんぎすかん)二〇会」の人たちの浄財によって建てられた慰霊碑があります。(以下要約をお許し願う)

 昭和20年春、政府の食料増産政策により、県内各地より、14歳から18歳前後の少年少女が、農兵隊として、満州国の千葉報国農場(成吉思汗町)へと送り出された。総勢で110人を超え、年齢的には少女が少年を上回っていた。

 3カ月後、予期せぬ敗戦で1年余の逃避行中、氷点下40度の厳寒や飢えによる病死や餓死、それに敵兵や盗賊に襲われることもあり、県下32名が犠牲になり、特に市原出身者は13名と最多数だった。......