2013年2月28日 12:32 | 無料公開
電話がかかってくる。
「もしもし」
受ける。
「何かご用でしょうか」
答える。
「用はありません。ただかけてみただけ」
こちらは心中に舌打ちをして、電話を切るだけ。
これは私の実体験だが、知人らの中にもそうした体験者は多いようだ。
こうしたいたずらは、赤の他人のものではない。といって親友のあそびでもない。サークルや飲み屋で隣席に座った程度の面識者、といったところだ。
二度、三度、そんなからかいの電話がかかってくると、もしかしたら、本物のきずなで結ばれたいのか、と思い、会ってみると、やはり電話同様で、ただ会ってみただけ、となる。
それでも、なんとなくこちらの触感としては、サークルの隣席に座っただけの顔見知りというより、神経の何本かで、くっつき合える予感を持ったりする。
時には懐かしさの情感さえ満ちてくるのだが。
「用はない、かけてみただけ」「会ってみただけ」でヘラヘラ笑われたのでは、きずなの結ばれる余地がなくなる。
さらに根本的には、これらのとぼけた応答を、例えば嘲弄(ちょうろう)と取るか、ユーモアと取るかで評価が分かれる。
多忙でいらいらしているときに、こんなあほくさい電話でからかわれたり、間抜け扱いされたりしたら、気分としては先方を殺したくなるだろう。
ただしユーモアとして取れば、好感度とまではいかなくても、少々「ニヤリ」とするくらいできる。きげんのいい時間帯だったら、いたずらのセンスとして受容できるかもしれない。......
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