聞いてくれがいよ

  • LINEで送る

 私の生まれ在所は市原市新堀(にいほり)であり、当人が生まれたころは市原郡市西村新堀だった。

 少年期、年上の友達よりも年下の友達が多く、馴れ親しまれていた。

 床屋のよっちゃん(神崎義男さん)は、私よりずっと下だったが、よく懐(なつ)いてくれていた。

 よっちゃんの父上は大工仕事の職人で、無口で、その分、目立たないながらも柔和な微笑を浮かべ、時として、蚊の鳴くような声でシャレを言ったりもしていたが、そのしゃれは、笑うというより、ほほえましい性質のものだった。

 床屋の担当は母上で、客商売だから無口では成り立たない。はさみでリズムをとりながら、パチパチとしゃべりとおす。ただし耳障りではない。相手の長所をちゃんと見抜き、自分の立場を底辺に置いてしゃべるから、おとなも子どもも気分がいい。

 よっちゃんは、小さいころ、影の薄い子で、存在すら判然としなかった。それが成人し、年齢を重ね、両親と悲しい別れをするころから自己開発し、言動が明朗になり、前向きになり、気力も充実し、地区の「太鼓連」のメンバーとして、祭りや正月迎え等のもよおしで、バチを握ってせいいっぱい太鼓を叩いた。

 そのよっちゃんが、かけてきたことのない電話をかけてきて、生活パターンとして「市原FM」を聴いていたら、やたらとサカイの名前が出てきて、たまげたという。

 すると同日、唱和するように、FMで語り手をつとめる大澤和子さんから、放送番組のCDが届いた。

 「新堀のネタですので、ぜひ聞いてくれがいよ」との手紙文付きで、タイトルは「婆神様(ばあがみさま)のアラレ祭(まち)」というものだった。......