2020夏季千葉県高等学校野球大会 あの瞬間を捉えた写真も多数

復興シンボル旭駆ける 被災少女、支えに感謝 聖火ランナー・飯岡中の伊藤百々寧さん(13)【東日本大震災9年】

聖火リレーへの参加に意欲を燃やす伊藤百々寧さん(左)と、母親の政恵さん(奥)、妹の心々和ちゃん=旭市飯岡の平公屋
聖火リレーへの参加に意欲を燃やす伊藤百々寧さん(左)と、母親の政恵さん(奥)、妹の心々和ちゃん=旭市飯岡の平公屋
聖火リレーのグループランナーに決まった仲間たちと意気込む伊藤百々寧さん(前列左から2番目)=昨年12月、旭市立飯岡中学校
聖火リレーのグループランナーに決まった仲間たちと意気込む伊藤百々寧さん(前列左から2番目)=昨年12月、旭市立飯岡中学校

 聖火に感謝の思いを託し、このまちを走る-。
 
 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた旭市飯岡地区。当時4歳だった伊藤百々寧(ももね)さんは9年の時を経て、市立飯岡中学校の1年生。この夏の東京オリンピック聖火リレーのグループランナーの一人に選ばれた。「自分と家族の今があるのは多くの人の支えのおかげ」。被災地を駆ける希望の火に込めるのは恩返しの気持ちだ。
 
 (銚子・海匝支局 田村 理)

◆迫る黒い波九死一生 悪夢乗り越え希望つなぐ

  伊藤百々寧さんは沿岸部にある鮮魚店「平公屋」3代目の徳和さん(45)、政恵さん(46)夫妻の次女。同店は地元の新鮮な“海の幸”を多く取り扱い、飯岡の食卓を彩ってきた。
  
 地元の幼稚園に通っていた2011年3月11日午後、大きな揺れが襲った。最大津波が来たとされる同5時25分すぎ。沿岸部では一度避難した多くの住民が帰宅、百々寧さんたち一家も店の辺りまで戻っていた。

 その時、母親の政恵さんが目にしたのは「黒い波がざぶんと堤防を越え、じわじわと迫ってくる」光景。政恵さんの運転する車で子どもたちは逃げ延びた。一家はいずれも助かり、2代目・尭行さん(たかゆき)さん(74)の同級生が地元で営んでいた飲食店で数日間、身を寄せた。

 津波を受けた平公屋は冷蔵庫が天井に打ち上げられ、ごみは散乱。当時店主だった尭行さんは再開を諦めかけたが、常連客の強い要望や息子たちの説得もあり一念発起。友人や親戚、ボランティアが片付けや洗浄を手伝ってくれ、同年7月、再スタートにこぎ着けた。

 震災当時、政恵さんは5番目の子である四女の出産間近。さまざまなストレスがのしかかる中、予定日より2カ月早い3月29日に帝王切開。1700グラムと小さいながら無事、心々和(ここな)ちゃんが産声を上げた。

 小学校に上がった百々寧さんは地元のバレーボールチームに入ったが、津波被災の記憶から海辺での合宿に参加できず、一時活動を休止。それでも「自分より大変な思いをしている人もいる」と恐怖心を克服。現在、部活では1年生でレギュラーとして活躍している。

 ともに聖火ランナーを務めるのは、海岸清掃活動などを続ける飯岡中の仲間と記憶継承に取り組んだ卒業生の計10人。それぞれの9年の思いを乗せ、聖火という“復興のシンボル”が今夏、被災地を駆ける。


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