ありがとう

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 川端康成の短編に「ありがとう」という作品がある。

 乗合自動車の運転手と乗客たちとの心の触れ合いを描いた、しみじみとしたものである。運転手は村の人たちに「ありがとさん」と呼ばれている。

 狭い山道を通る乗合自動車は、馬車や馬力、大八車、人力車などを追い越さなければならない。そのたびに運転手は道の端に寄った馬車や大八車に「ありがとう」と敬礼する。その敬礼の姿勢はとても潔い。端正な姿を崩さない。

 ある日の乗客に十五里離れた北の町に売られに行く娘がいた。峠を二つ越し、何時間も自動車に揺られているうちに娘は運転手を好きになる。

 港から十五里離れた汽車のある町まで、乗合自動車は往復の野山を「ありがとう」の感謝でいっぱいにするのだった。そうして「ありがとさん」の乗合自動車に乗った乗客たちは、「今日はきっといいことがある」と、だれもが思うのである。

 私のまわりにも「ありがとさん」に似た人が何人かいる。その人といると楽しい。すぐまた会いたくなる人だ。自分も病気をもっているのに私の痛みを心配してくれる人、夕食のおかずを作ってきてくれたり、重い買い物をしてくれたりする人だ。

 「あなたのその他人を思いやる気持ちは宗教か何かを信じているからなの?」と聞いたことがある。答えはノーだった。「私も色いろの経験をしたから」と微笑むだけだ。

 このごろ足腰の痛みで体が弱っているせいか、心まで弱っているらしい。二十年以上前に亡くなった義母の言葉をしきりに思い出す。「わたしの年になれば分かるよ」と声まで聞こえてくる。あのころの義母は年をとることの寂しさ、体の不調を訴えていた。義母との仲は良いことも多かったけれど、それゆえ言いたいことも言い合った。

 それを今になって私はしきりに悔いる。もっと優しくすればよかった、と。そんな私に友人が言った。「私だって義母や夫を亡くしたあとは、ずいぶん後悔したわ。大抵の人はいくら尽くしても悔いるはず。全く後悔しないという人は少ないでしょう。だからお悔やみ申し上げます、という言葉があるのよ」と友人は慰めるように言った。他人も自分と一緒に悔いてくれている、という意味なのだろうか。少し分かったような気がする。・・・