不運は居座る

  • LINEで送る

 幸運は来る足が遅く、去る足が速い。不運は来る足が速く、去る足が遅い。

 縁につながる岩手の一家が壊滅した。岩手県下閉伊郡山田町で、酒と米を手広く商っている本家と、薬局を営んでいた分家とが、一瞬にして震災と津波に呑み込まれた。

 不幸中の幸いと言えば、宿病を抱えたお父さんが、波にさらわれながらも救助されたことだった。

 親たちは避難所の南小学校に入ったが、娘さんは婿さんの実家に身を寄せることになった。

 娘さん、つまり酒・米店のママさんとは、縁続きの姪の結婚式・披露宴で同席している。明朗で、好印象のママさんだった。

 そのママさんと電話が通じたとき、受話器にあふれた泣き声はむしろ悲鳴で、すべてを失った運命への慟哭だった。

 もらい物だが、こざっぱりした衣類を送らせてもらい、一応は感謝されたというふうに受け止めていたのだが、それは身内感覚で、一般的には、かってな送り込みが迷惑をかけるケースもあるようだ。

 被災地には、処理しきれないほどのゴミが山積していて、そこへ善意の古着が際限なく送り込まれてくると、被災者の身体をぬくめるまえに、置き場所がなくなり、さらにゴミ処理を困難にさせることになる。

 善意のボランティアも、陸続(りくぞく)と詰め掛ければ、避難所との兼ね合いで、居場所の問題も出てくるだろうし、船頭多くして、船、山に登る…という状況もある。

 情感的な善意は人の心を慰撫(いぶ)し、激励するが、被災地の復旧や原発の修正には無力で、胸はふくらんでも腹はふくれない。

 ただ善意の集大成ともいうべき義援金は、とりあえず被災者を救済するはずだったが、なぜか流れが滞っているという。実効の配慮が待たれる。・・・