こ生さん母子の雅

  • LINEで送る

 ここ例年「いきいき大学専攻学部」に呼んでもらう。詳しくは「専攻学部教養教室」で講演させてもらうのだ。

 「今年から、教養と教室の間に文化が入るのですよ」

 と、新規「教養文化教室」の清水行惟部長さんがおっしゃる。うれしそうなお顔は「文化」を歓迎されているようだ。

 私のエッセー集に『田舎の文化人』というのがあるが、ちゃんとした教養には縁がないかも。

 うまく教育的文化が話せるかどうか心配だったが、さらなる心配は顔付きだった。七月末、自宅の二階から階段を転げ落ち、全身打撲で病院に運ばれた。

 その時の内出血がまだ顔面に残っていて、化け物かケンカに負けた三下奴(やっこ)のようだ。

 清水部長さんが選んでくれたテーマは「愛新覚羅溥傑と浩」だった。千葉日報に書いたエッセーによるそうだが、これはありがたかった。まだ内容が頭に入っている。

 内出血で目のまわりが黒いまま演壇に立ち、中国のラストエンペラー溥儀と、その兄を支えた溥傑・浩夫妻のドラマチックな話に入ると、すぐに会場のふんいきが乗ってきた。私の顔など気にする者はいない。首の上に載っていればいい。

 三歳にして清朝第十二代の皇帝に即位した溥儀は、辛亥(しんがい)革命により清朝が倒れると廃位(一九〇八~一九一二)。溥儀はラストエンペラーとなる。

 やがて廃帝となった溥儀に目を付けたのは日本陸軍の関東軍だった。関東軍は、占領地につくりあげた傀儡(かいらい)の満州国に、一九三四年(昭和九年)、日中和平を名目に皇帝・溥儀を迎え入れる。

 さらに兄を支える醇親王第二子・溥傑と、日本の皇族の姫君との皇族間婚姻を工作する。

 まず北白川宮の皇女に白羽の矢が立ったが、皇室典範上の無理があり、公家華族の姫君から選ぶことになった。...