疑惑のロングラン

  • LINEで送る

 神田駿河台に「土曜通信社」という出版社があり、一般図書出版の他に「今日の話題」(月刊)「土曜漫画」(週刊)等を出していた。

 私はそこの編集長をやっていたが、やがてテレビライターとして転出することになり、編集長席は後輩の高野氏に託した。

 その後、高野氏がお楽しみで開いたバーで、編集部の新人だという三浦和義さんを紹介された。演技的に愛想のいい、長身の青年だった。

 一九八一年十一月、ロス市内の駐車場で三浦一美さん(当時二十八歳)が銃撃される。

 一美さんは一年後一九八二年十一月、神奈川県内の病院で死去。ご遺族の涙の目は、疑惑の目に変わって夫の和義さんに向けられる。

 銃撃事件時、和義さんも負傷し、ベッド上で涙声をふるわせていた。一美さんの容態を案じているのだが、だんだん自分のアクションに没入していくように見えた。

 テレビの画面を見ていて、苦笑する人たちもいれば、もらい泣きする人たちもいたが、すでに「ロス疑惑」「疑惑の銃弾」等は流行語になっていた。

 シンパサイザーは、和義さんも銃弾を受けている、下心があっても自分を銃撃させる人などいない、と言って庇う。

 ふつうの人ならそうだろうが、不謹慎ながら私らは、三浦さんに別人格を感受していた。

 コメントを求められた高野氏は、和義さんの、日常の演技性について、数回のテレビ出演を通して詳述していた。

 「役者的人生」という佐木隆三氏(作家)の明察を、新聞の見出しで拝見して、なるほど、と納得がいった。

 二〇〇三年、最高裁で無罪が確定した後も、芸能事務所に所属し、冤罪(えんざい)を宣伝して回るうち、二〇〇七年四月、コンビニで万引き事件を起こし窃盗容疑で逮捕、起訴される。

 輸入雑貨会社社長で、一美さんにかけた保険金一億六千万円も手にしている人が、なんでまたケチな万引きなどしたものかと、薄れていた三浦和義の名前が色濃くコピーされた。万引き事件は、三浦さんにとっての仕掛けたフラッシュだったようだ。

 サイパンからロスに移送される際、三浦さんがかぶっていた横文字入りの帽子も目立っていた「PEACE、POT、MICRODOTと、すべて麻薬の俗語だそうで、やはり三浦スタイルだった。

 役者として最後の大舞台を演じた……という佐木隆三氏の比喩もあったが、だれもが喫驚した自殺事件を、あるいは「万引き事件」につながるパフォーマンスと感得する人がいたら、やはり冒涜(ぼうとく)

 という欠礼になるのだろうか。...