「ぬくもり」の昔

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 自分の顔に興味がないから鏡は見ないが、最近の他人の顔には興味がある。

 大人たちも、子どもたちも、何かさっそうとしていて、賢(かしこ)そうにしていて、同じような表情をしていて、つまりパソコンエイジの顔をしている。IT社会に取り残された私らの目には、パシャパシャとパソコンを打つ指ダンスが、マジックにも見え、ゆだんならない速射音にも聞こえる。

 入試ネットの流出とか、それによる携帯電話カンニングとか、IT犯罪がテレビを通じてたいへんな話題になり、問題となった。

 その方面に無知な私らにも、派手なカンニングパフォーマンスは衝撃だった。

 パソコンエイジでは、人間をつなぐ絆は「心」ではなく、インターネットワークのようだ。このネットワークは、冬には暖房の部屋をつくり、夏に冷房の部屋を提供するが、家族的「ぬくもり」という面ではお呼びでないらしい。

 私の文章塾の生徒、といっても中年オーバーの孫持ちの女性だが、小学生のころ、寒中の外から、手指を凍らせて戻ると、母ちゃんか婆ちゃんが、おおおお、寒かったろうに、冷たかったろうにと言って、小さな手を大きな手で包んでくれて、ぬくめてくれた。

 そのぬくもりを、ちょっと婆ちゃんになった女性はいまでも忘れない。

 今日、そうした「ぬくもり」は、一般的には忘れられている。

 システムによる「暖房の部屋」もあり、また「冷房の部屋」もあるが、人の心と心が寄り添う「ぬくもりの部屋」はない。

 いまどきの子どもらは外に出ていても、それなりの防備をしていて、戻ってきて、婆ちゃんが手指をぬくめてやろうとしても、横目で「ウザイ」という表情をつくり、さっさと自分の暖房の部屋に入り、犬ころのぬいぐるみなど抱くと、それがまた、暖房器具を兼ねる機能をもっていたりする。・・・