2023年7月17日 05:00 | 有料記事

空襲直後の米軍の空中写真
各種の軍事施設が存在した千葉市は、アジア・太平洋戦争末期の1945(昭和20)年6月10日と7月7日、アメリカの戦略爆撃機B29による激しい空襲に見舞われました。
6月10日の空襲では、千葉県内最大の軍需工場だった日立航空機千葉工場が標的でしたが、実際には海風で流れた強力な高性能爆弾が、隣接する蘇我町1丁目や、現在のJR千葉駅周辺に落下しました。
◆七夕空襲とは
7月7日の七夕空襲は、千葉市街地を目標としたもので、そこに住む多数の人びとの暮らしや命を容赦なく奪う無差別攻撃でした。『千葉戦災復興誌』(千葉県、1980年)によると、この空襲による死傷者は1204人、罹(り)災面積205ヘクタール、罹災戸数8489戸に及ぶとされます。空中写真で白く写っているところが焼失した箇所です。
七夕空襲は、米軍資料の「作戦任務報告書」によると、B29124機が第1目標の千葉市街地を日本時間午前1時39分から4時5分まで爆撃したとされます。
空襲では2種類の焼夷(しょうい)弾が大量に投下されました。一つはM69と呼ばれる金属製六角筒状の小型ナパーム弾で、地上や家屋などに落下すると、筒の中に詰 ・・・
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