成長促す「あの1球」 秀岳館戦 内角低め【早川隆久物語】(3)

広島新庄戦時の木更津総合高・早川(右)と大澤=2016年8月、甲子園
広島新庄戦時の木更津総合高・早川(右)と大澤=2016年8月、甲子園
専大へ進んだ大澤は社会人でも野球を続ける。早川には「みんなの思いを背負って戦ってほしい」=神奈川県伊勢原市
専大へ進んだ大澤は社会人でも野球を続ける。早川には「みんなの思いを背負って戦ってほしい」=神奈川県伊勢原市

 「これ18・44メートルから投げたらどうなるんだろう」。球速以上の切れと勢い。木更津総合高1年時。夏前の打撃練習で捕手を務めた大澤翔は、まだ無名の左腕の飛躍を最初に感じ取っていた。

 3年になるまで寮は同部屋で会話内容はほぼ野球。変化球の握りや試合の反省、フォームの相談と「妥協がなかった」。驚いたのは吸収力と調整力。「何を注文しても必ず期待を上回ってくる。普通一つのことを言うとフォームが崩れたりしてしまうが、あいつはそれがない。一気に2個修正してくることもあった」

 3年春の甲子園。腰の骨折から復帰初陣となった札幌第一戦では無死満塁から3者連続三振。次戦で神宮大会で敗れた大阪桐蔭にリベンジを達成後、運命を変える秀岳館戦を迎えた。2安打に抑え九回2死2ストライクまでたどり着いたが、投じた渾身の内角低め。審判の手は上がらず、四球から連打を浴び逆転サヨナラ負けを喫した。

 悔しさを忘れぬよう翌日の新聞を部屋に張り、内角への直球を磨いた。「あの1球がなければ今の自分はない」と当時語った早川。夏の千葉大会東海大市原望洋戦は2安打と犠飛で得た1点を死守。膝へ受けた死球の痛みが残る中、千葉経大付戦では4点差を追い付く起点の内野安打も放った。先発全試合が1点差で4完投1完封。計475球を投げきった。大澤は「強い気持ちが球で分かる。受けてる捕手が楽しくなる投手」と語る。

 最後の甲子園は準々決勝で作新学院に敗れた。2本塁打を浴び、あれだけ冷静だった左腕が泣きじゃくった。高校で「プロ」を口にしたことは一切なかったという。U18日本代表投手陣8人の中で、唯一大学へ進んだ。


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