「核兵器、必ず廃絶」 平和願い被爆体験語る 千葉県庁原爆展で上野博之さん(79) 【戦後73年 ちば平成最後の夏】

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「きのこ雲」を見た時の衝撃を話す上野さん=6日、千葉県庁

 被爆から73年の「原爆の日」の6日、千葉県庁で始まった「平和祈念原爆展」の会場で、県原爆被爆者友愛会会長の上野博之さん(79)=浦安市=が、広島で被爆した自らの体験談を語った。原爆投下後の広島市内で父親を探して被爆。「生き残っても後遺症など不安は残る。だから核兵器は廃絶しなくてはならない」と訴えた。

 上野さんは、73年前の「あの日」を振り返った。1945(昭和20)年8月6日朝。当時は小学1年の少年だった。母親と弟2人で爆心地から約12キロ離れた親戚宅にいた時、晴天の夏空に閃光(せんこう)が走った。「もくもくと湧き上がるきのこ雲に光が反射して、しばらく見とれた」が、黒色に変貌した姿に恐ろしさを抱いた。

 国鉄広島駅に勤めていた伯父はやけどを負いながら、無事帰宅。ただ、朝の一番電車で市内に出かけた父親が戻らなかった。9日朝、生きていると信じ市内の収容所を家族で探し回った。

 「上野稔はいませんか」。1歳に満たない弟を背負った母親が収容所に入るたびに父親の名前を叫んだ。建物の中に漂う死臭と消毒液が混じった異様な臭いに我慢できず、「出ようよ」と母親をせかした。「今思えばもっと探せる場所があった」。父親を見つけられなかった後悔が残る。

 戦後は仕事で全国を転々とし、勝浦市や浦安市などで生活した。2002年、母親から送られた被爆者健康手帳を思い出し、夷隅保健所で健診を受けた。そこで千葉県原爆被爆者支援会会員に声を掛けられ、語り部として歩み始めた。

 「生き残って『良かったね』で終わらない。後遺症などの不安は残る」と原爆の恐ろしさを語る。「戦争を知っている世代が少なくなっている。機会をつくってでも伝えていかないと」。核兵器がなくなるまで、語り続ける。

◆「語り」やパネル展示 9日まで原爆展

 「平和祈念原爆展」は、被爆体験の語りやビデオ上映などで、反戦を訴える。9日まで、千葉県庁本庁舎1階。「語り部」が連日、被爆体験などを紹介する。

 原爆展は、原爆のむごたらしさを伝え、「ヒロシマ・ナガサキ」のような悲劇を繰り返さないため、県内被爆者らによる同会が主催した。