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芭蕉も歩いた「下参り」 東国三社参りの旅 【千葉地理学会連載 おもしろ半島ちばの地理再発見】

香取神宮の本殿
香取神宮の本殿
鹿島神宮の大ナマズの碑
鹿島神宮の大ナマズの碑

 江戸時代伊勢参りとともに人気があったのが東国三社参りです。伊勢参りに対して東国三社を下参りと呼んだり伊勢の仕上げ参りと称したりしました。東国三社参りとは千葉県の香取神宮と茨城県の鹿島神宮、息栖神社に参るものです。

 鹿島と香取は古くは伊勢神宮以外でここだけが神宮と称していた格式の高い神社です。両社ともに神話の世界で「国譲り」に関わる話があるほどですし、鹿島神宮の神が鹿に乗って奈良に至り、春日大社ではその鹿が神の使いとされています。息栖神社は神の乗り物の船を祭神としています。

 三社周辺は古くは香取海と呼ばれた内海で、三社ともその海に面して鳥居があり、大和政権の東北支配の拠点と考えられています。そのことから鹿島・香取ともに戦勝の神とされ、武家の信仰もあつかったのです。武芸の道場などで「香取大明神」「鹿島大明神」の額が下げられているのを見ることがよくあります。

 香取神宮は新緑や紅葉のきれいな参道を進むと立派な楼門があり、その奥に拝殿と本殿があります。いずれも元禄年間に徳川幕府が造営したものです。拝殿でお参りし、重要文化財の本殿も見逃さないようにしましょう。

 鹿島神宮の社殿も徳川秀忠が奉納したものです。ここの拝殿や本殿も重要文化財ですが、通常の神社とは違い、北を向いて建てられていることが祭られた当時の事情を物語っているといわれています。

 もう一つ面白いのが、両方の社にある要石(かなめいし)です。地震が多かったこの地を鎮めるために大ナマズを要石で地中深く押さえつけているというのです。水郷のデルタ地帯の軟弱地盤と関わりがあるように感じます。息栖神社は神栖市の常陸利根川に面していますが、他の二社に比べると社も小さくひっそりと祭られています。

 1687年8月、松尾芭蕉も門人2人を伴いこの方面に旅をし、鹿島神宮に詣でました。この時の芭蕉の旅のルートは江戸の人々の三社参りの一般的な道のりに近いものと考えられます。

 芭蕉は行徳船で小名木川を経て行徳に出て、そこから陸路で八幡、さらに木下街道で鎌ケ谷を通り布佐に至ります。そして再び船で利根川を下り、鹿島に出ました。

 当時利根川の木下河岸から木下茶船という乗り合いまたは貸し切りの船がありました。盛んな頃には年間1万4千人も利用したといいます。木下茶船は安食河岸で成田参詣の旅人を下ろし、佐原の香取神宮津宮河岸に至ります。鹿島までで800文という記録があります。現在で2400円くらいになるでしょうか。

 木下茶船はさらに利根川を下り、銚子磯めぐりまで足を延ばす旅人にも利用されました。江戸時代にこのような観光遊覧ルートがあったことに驚かされるとともに、船運にそれだけのニーズがあったことが分かります。

(敬愛大秀明大非常勤講師 鎌田正男)


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