甘えの構造・高年期

 プロデューサーとライターの関係は、番組終了時でご破算というのが一般で、それが両者のプロ意識とされたようだが、私にはそのプロ意識がなく、常に素人意識だったので、その意識の差がむしろ接点となったのか、関係が途絶えることはなかった。

 大宮市の白鳥邸では、庭園のパターゴルフを楽しんだり、藤森家のお嬢様の婚礼では、祝辞を述べさせていただいたりして、今でも友情は健在だし、またNET番組「キャロン虹のステージ」「お昼の歌謡曲」等の小出与三プロデューサーは、リタイア後、私宅近隣の船橋市新高根に在住し、往き来も復活した。

 トップ・ライトの「しゃべくり台本」を書くようになって、ことさらトップさんと親しくなり、彼を「おやじさん」と呼ばせてもらううち、その縁から私の交際範囲も広がった。

 バタやん(田端義夫)とは気が合った。彼は貧乏だった小学生時代を振り返った時、こんな話をして笑った。ちゃんとしたパンツがないので、兄の大きなパンツを借りて運動会を走ったらズッコケてチンチンが出てしまったという。

 三波春夫さんもよくしてくれた。お宅へおじゃましてはごちそうになり、博学多才な話を聞かせてもらううち、当方の漫画週刊誌に連載小説「はぐれ鴉」の話も決まった。「はぐれ鴉」は好評で、主題歌のレコードも発売された。.....


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