2020夏季千葉県高等学校野球大会 あの瞬間を捉えた写真も多数

ピアノの音が違う

 開演ブザーも鳴らなかったようだ。

 アナウンスも入らなかったようだ。

 幕は開きっ放しで、グランドピアノが一台置かれていて、背の高い男の人が、ピアニストのような指使いで音調べをしている。どうやら調律師らしい。

 「何で? 開演直前に調律師が…」

 不思議だったが、興味深かった。

 仕事を終えた調律師が出て行くと、大学教授然とした品のよいおじさんが、ピアノの椅子を運んできてまた引っ込む。

 モノトーンのようなステージの出入りに私はワクワクしてしまう。

 いきなり、忘れ物でも取りに来たかのように女性が現れる。よく見ると美人だ。もっとよく見ると田中明美さんだ。

 手に何か持っていると思ったらマイクで、話すともなく話し始める。

 「ピアノか他か、二者選一を胸に、師・小林仁氏の前でブラームスを弾くと、このままブラームスを弾き続けるように言われ、ピアノの道を歩むことになりました」

 早口で、息継ぎもないほどのおしゃべりは、ふと赤毛のアンのかわいらしさを思わせる。ただ田中明美さんのかわいらしさには鉄火肌が潜んでいる。

 さりげなくピアノの椅子に腰を下ろすと、そのまま「ブラームス=ピアノリサイタル」の開演だった。華やぎもない、緊張感もない、すっと入って、たちまち十指と音が走り出す。

 このスタートは田中明美さん固有のもので、私など歓声をあげたくなるほどうれしい。

 作品79『2つのラプソディー』は、速さではなく、激しさを聴く、という解説があったが、田中明美さんのピアノはピアノの量感を超越してしまう。その震度、重量感、圧倒感を耳だけで処理するのは至難で、全霊を揺さぶられながら聴き入ることになる。...


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