2020夏季千葉県高等学校野球大会 あの瞬間を捉えた写真も多数

「後期」と呼ばず

 生まれつき勉強とか努力とか性に合わない。だから原稿を書くにも、自分なりの感覚・感性でやっつけてしまい、その浅薄を指摘されるケースも間々ある。

 といったわけでやや慎重を期するようになり、近ごろの「前期高齢者」「後期高齢者」という区分も、はなから頭にきていたが、とりあえずがまんして、経過を見ていたものの、ここにきてきっかけがあり、やはり書いてみることにした。

 最近、町会の方からお達しがあった。簡略化して紹介してみる。

 「これまで七十歳以上の方に、現金六千円、又は、八千円相当分のバス・モノレール乗車券のいずれかを選択していただき、支給していました。この制度は、昭和三十二年に開始したものですが、当時、男女とも六十歳代であった平均寿命も、男性七十九歳、女性八十五歳と大幅に伸び、支給対象者の状況も変わっています」

 そこで敬老祝金等は、平成二十年度から打ち切りにする、という主旨の通達で、つまり今年の「敬老の日」からは、現金もバス券等も、もらえないことになる。

 だがそれをきっかけにした私の立腹は、町会や市をターゲットにせず、行政の「前期高齢者」「後期高齢者」という呼称に向かう。

 「前期」「後期」という分け方は、事務的・唯物的区分であって、人道的ではない。

 勉強嫌いの私ながら、哲学の方法論について聞いたことがある。たしか「唯物論」と「唯心論」だったと思う。

 「唯物論」は、精神よりも物質を中心に据える論法。精神や意識を物質に還元してとらえる考え方で、マルクスの名前が出てくる。

 「唯心論」では、心(精神)が究極的「真実在」であるとする。心や精神的なものを、実在するもの、あるいは中心的なものと考える立場で、プラトン、ヘーゲルなどの名前が出てくる。

 ケースバイケースという観点もあるだろうが、人生の先達(せんだつ)としての高齢者を「物」扱いしたくない。また試験や納税期なみに「前・後期」で分けたくない。

 敬意無き分け方をするばかりでなく、政府は、悪徳やくざの手口で、高齢者のふとんを剥ぎ取っていく(形容が古いかも)。

 政府は、後期高齢者の医療保険費を、年金から天引きするという。

 年金は、ゴタゴタしている現状ではあっても、高齢者の命綱である。その綱を政府が「合理」という鋏(はさみ)で切り詰める。

 「長生きできない」

「食べたいと思うものもがまんする」...


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