竹下定蔵先生の志

  • LINEで送る

 竹下定蔵先生は、千葉女子高校一筋の教師として知られる。私らでも、竹下校長先生の英名は承知している。

 二〇〇八年五月十日、

 「竹下定蔵先生白寿記念出版会」(電話043-224-2211)、つまり「教え子会」の肝煎りで、先生の著『われ生涯一教師・100年の志』が刊行された。

 扉に、会を代表して、松井清子さんの一文がある。

  ――竹下先生と声に出し

 お呼びするだけで、あの貧しくはあったが、明るい元気な頃が目に浮かぶ。(あとがきより)

 松井さんのあとがきによると、百歳の老境に入ってもお元気な先生ではあるが、原稿をまとめることで、お体に障りがあってはと

、そのことを日々案じながら脱稿を待ったという。

 第一章「明治・大正・昭和へ」は、目の当たりに見た事象を、鋭い眼力と、それでいて肩の凝らない語り口で解き明かしていく。

 第二章は「千葉高女との運命的な出会い」で、“わたしの徒然草”では、この章に視点を置かせてもらう。

 第二章第一項「沼田校長、三顧の礼をとって下さる」

 昭和十四年のこと。

 ――千葉高女の沼田校長から、至急採用したいとの連絡があった。私は当然断った。中学の男子校ならよいが、女子校は私には不向きであると思っていたからである。(略)

 千葉女子高は、千葉高等女学校(千葉高女)に始まり、千葉二高、千葉女子高等学校(千葉女子高)と校名が変わった。

 竹下先生は、二回目の招請も断った。そして三回目、沼田校長が直接訪ねて来て、懇望した。

 ――母は、「お前は、西の方に運勢が向いているから、ぜひ行きなさい」と言った。私も三顧の礼を頂き、とうとう千葉女子校就職を決断した。

(略)

  そして、県内最古の女学校で、粗野で青くさい青年教師(先生談)は、一生転任せず、温良貞淑な女学生(先生談)といっしょに、長い教師の道を歩むこととなる。...