墓所へ甘えに行く

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 病院で「高齢者の患者さん」と呼ばれるこの年まで、親掛かり、兄掛かりで生きてきた。

 三流週刊誌の編集長もやり、テレビ作家もやってきたが、入るものは取ったか見たかで使ってしまう。

 テレビでは連続物の脚本書きをしていたので、稿料も順々に出て、本人ばかりか、委任状を持った友達まで会計の窓口に取りに行った。

 金銭感覚の無い私は、簡単に委任状を書いてやったし、さらに経理事務に暗い私は、週刊誌(出版社)の会計から出されたはずの年金証書みたいなものも、どうしたものか、わけがわからないようにしてしまった。

 結局は老いた両親と兄のお荷物となる。

 母親は私のことを「バカ殿」と呼んでいたが、甘やかしたことを後悔しているふうにも見えなかった。子の欲目か。

 四年前に兄が死んで、親掛かり、兄掛かりは終了した。両親はそれよりだいぶ前に世を去り、兄が「肉親の情」を引き継いでくれていたが、思いもかけないその早世は、金銭感覚の有無よりも私の神経を破砕した。

 両親と別れ、兄を見送った私は、自分をも見失ったらしい。生活能力の無いまま、両親・兄の援助も無いまま、成り行きで暮らしていると、役所から百数十万円の固定資産税を請求された。請求というより長年にわたる督促だった。やがて窓口に呼び出され、口頭で難詰されることにもなり、こうなったら、金銭感覚の鈍い私でも何とかしなければならない。

 そこで三十坪足らずの庭を売ることにした。胸の潰れる思いだった。特に父親に申し訳ない。

 父親は、放浪癖のある末っ子を落ち着かせようと考えたのか、宅地探しに奔走した。...