高齢を意識する日

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 「あなたは高齢者だから……」

 若い人なみの治療はできない、と担当のお医者さんに言われて、身の高齢を自覚するようになり、生きることが狭苦しくなった。

 過ぎていく一日一日が、いとおしいというより怖い。自分の年齢が季節を後追いするようで不安心だ。

 三寒四温を経て温かくなり、花が咲き鳥が歌い出せば、心が晴れ晴れしくなるより心細くなる。

 四季の移行が高齢者の寿命を吸収していくように思える。気のせいか、日に日に精気が抜かれていくように感じて、平坦地を歩いても足元がふらつく。

 田舎のおじいさんおばあさんが、毎朝目を覚(さ)ますと、仏壇に灯明を上げて、今日も一日生き延びられました、と言って手を合わせるそうだが、彼らにはそれなりの悟りがあるのだろう。

 九十一歳になる友達がいて、有料老人ホームに居室を持っているが、病気になれば居室を出て病棟に移されると話していた。

 又聞きだが、病棟に移されたホーム入居者が、再び自室に戻ることは少ないという。極論だが、聞いた話を総合すると、どこか死ぬために生きている、生かされている、という印象だった。

 お医者さんに「あなたは高齢者だから」と言われ、当人も高齢を意識するようになり、おろおろするようになったが、それでも死を待つ生き方はしたくない。死の影に脅えながらも、生きるために生きたい。

 俳誌『天狼』同人河合木孫氏を通じ、わずかにご縁をいただいた山口誓子先生は、花鳥諷詠の「ホトトギス」派を離れ、新たに俳句の現代性を追求したと聞く。

 さらに、これは木孫氏による伝聞だが、後期の誓子先生は、目に見えない「美」を俳句にとらえ、代表作に「美しい距離白鷺が蝶に見ゆ」があるという。つまり美しさを「距離の美」として詠んでいるわけだ。

 誓子先生は常に新しきを知り、前進し、九十三歳で休まれた。私には後背を慕う天分も命数も無いだろうが、死の影に脅えながらでも先へ出たい。足取りがおぼつかなくても、高齢者の負い目から解放され、子どものころみたいにはしゃぎまわりたい。あれもしたい、これもしたい。

 「そろそろ、徒然草シリーズの第3弾を出しませんか」...