親の「羽含む」愛(1)

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 千葉日報連載の「わたしの徒然草」が、大学入試問題になったことがあり、その一編は、私の本「オレ、たそがれ」(シリーズ刊行2)で紹介したが、二編目の「遣唐使人の母」は、次期出版予定の「オレ、あけぼの」(シリーズ3)に収録したいと考えている。

 一編の「もったいない」は、ノーベル平和賞のワンガリ・マータイさんと、私の亡母とのもったいない精神を、個人的に比較検討したものだが、二編目の「遣唐使人の母」もまた、亡母への思い入れが底辺となっている。

 [本文]旅人の宿りせむ野に霜降らば吾が子羽含め天の鶴群(万葉集巻九・1791番)

 天平5年(723)、遣唐使船が難波津を出る時、母が船に乗り込んだ息子を見送って詠(よ)んだ歌だそうで、歌意は、旅人たちが野宿する野に、冷たい霜が降ったなら、私の子を羽の下に育(はぐく)み、ぬくめてやっておくれ、天(あめ)飛ぶ鶴たちよ。「鶴群」は、「たづむら」と読み、「羽含む(はくくむ)」は「育む」と同義。

 [問題]「野宿」の正しい読み方は?正解は「のじゅく」

 [本文]遣唐使船は海路を行くので、野宿はしない理屈だが、だから見送る母親の頭がヘンだというのではない。当時は、旅といえばイコール野宿の時代で、陸路とか海路とか、分離して理解するのは一般的意識ではなかった。

 それより私には、船が出ていって、すでに自分の手が届かなくなった息子の無事を、鶴の羽含(はくく)みに託し、ひたすら願う母親の情が好もしい。

 趣味の万葉教室で、子育ての「育む」が、鳥の「羽含む」から出ているというこの歌に触れ、ふと自分の母親の顔が浮かんだ。26年前に死んだ母親が、何かにつけて私のそばに顔を出す。・・・