【千葉魂】原、母への想いを胸に 故障乗り越え、命日に登板

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1軍初登板を目指す原。右肩故障を乗り越え、2軍で登板を重ねる
1軍初登板を目指す原。右肩故障を乗り越え、2軍で登板を重ねる

 7月3日。ロッテ浦和球場ではマリーンズの2軍とジャイアンツの3軍による練習試合が行われていた。曇り空の下、行われたこの試合で特別な想(おも)いを胸にマウンドに上がった投手がいた。プロ4年目の原嵩投手だ。昨年は右肩鏡視下手術、および右肘神経移行術でリハビリを余儀なくされ登板はゼロ。今年は2軍で順調に登板を重ねていた。この時点で中継ぎとして9試合に登板。6月9日のイースタン・ジャイアンツ戦では白星も記録していた。そんなどん底から地道な努力を重ねて、はい上がってきた若者にとって、7月3日はとても大事な日だった。

 「母の命日なんです。1年目の時にも7月3日にビジターのイーグルスとの2軍戦で先発予定だったのですが、その時は雨で中止となった。そういう意味ではプロに入って初めて母の命日に投げることができた。とても感慨深いものがありましたし、なんか緊張してしまいました」

 原は遠い空を見上げながら、特別な想いでマウンドに上がった理由を話してくれた。高校2年夏の大会前に原はがんで母を失った。小さい時から野球にのめり込んでいた原のよき理解者であり、いつもそばで見てくれるかけがえのない存在だった。ショックのあまり、なかなか立ち直れず、食事も喉を通らない日々が続いた。前を向くキッカケとなったのは母の想いだった。

 「母は家族の誰よりも野球が好きで、自分が甲子園に出ること、プロに入ることを願ってくれていた。ボクの当時の夢も甲子園で投げている姿を見せることと、プロに入って母を自分が投げる1軍の試合に招待することだった。だから、そこから甲子園とプロを目指して必死に頑張りました」

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 高校3年夏。専大松戸高校のエースとしてチームを引っ張った原は習志野高校との決勝戦でランニング満塁本塁打を放つなどの活躍で甲子園出場を決めた。オフにはマリーンズが5位で指名し入団した。夢は一つ、また一つとかない、次はプロの1軍での活躍となった。1年目は2軍で8試合、2年目は13試合に登板と順調に成長線を描いていた矢先に手術を余儀なくされた。私生活にも支障をきたすほどの故障。1年以上のリハビリ。周囲から「もう投手として復帰できないのではないか」、「肩が元には戻る事はないのではないか」という声も耳に入ってきた。野手転向を薦める人もいた。だが迷いはなかった。

 「投げている姿が大好きだった母のためになんとしても投手としてマウンドに戻ると決めていました。家族からも自分が投げている姿を見たいと言われていた。だから色々な言葉は耳には入ってきましたが、迷いは一切なかった。投手としてやってやるという強い気持ちでリハビリに取り組みました」

 原は復帰した。7月3日。母の命日に2番手として四回からマウンドに上がった。ファンもまばらな2軍球場での3軍チーム相手の一戦。それでも特別だった。どこからか母が見てくれているような不思議な感覚がした。だからマウンドから堂々と元気に投げている姿を見せようと意気込んだ。3回を無失点。MAXは146キロを記録した。手術前のMAXが147キロ。順調に来ていることを証明してみせた。

 「早く1軍に上がって、家族を試合に招待をしたいと思っています。母はいつもボクが大舞台、プロの1軍で投げている姿を見たいと言ってくれていた。その姿を一日も早く見せたいと思っています。そして大きな手術をしても肩がここまで治ることをケガで苦しんでいる人たちのために証明したいです。リハビリに付き合ってくれたスタッフの皆さんや励ましてくれた人にも恩返しがしたいです。今はおかげで肩に全く不安がなくなったことでこれまで以上に腕を強く振れるようになりました」

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 7月9日のイースタン・リーグのファイターズ戦(浦和)では今年初めて先発で登板。負けはしたものの5回を投げて被安打3、2失点に抑えた。若い投手が続々と1軍登板を重ねるマリーンズにあって原が投げる日も遠くはない。

 原は決めている。1軍のマウンドに上がったら、落ち着くために大きく深呼吸をして空を見上げる。野球が大好きで息子が1軍で投げる姿を誰よりも楽しみにしていた母が見守ってくれていると信じ、第1球目を投じるつもりだ。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)