風船爆弾「決戦兵器」から変容 製造に全国100女学校動員 一宮、明大教授が講演 【戦後80年ちば】

風船爆弾について講演する明治大の山田教授=一宮町中央公民館
風船爆弾について講演する明治大の山田教授=一宮町中央公民館

 太平洋戦争末期に一宮町などから放たれた風船爆弾に焦点を当てた戦後80年講演会「風船爆弾とは何だったのか-その狙いと作戦の実態」が、同町中央公民館で開かれた。明治大学平和教育登戸研究所資料館長の山田朗教授(68)が講師を務め、当初は米国に対し勝利を得るための「決戦兵器」だった風船爆弾が、戦況の悪化とともに性格を変えていった経緯を解説した。

(武内博志)

 風船爆弾は、和紙をこんにゃくのりで貼り合わせて作った直径約10メートルの気球に、爆弾や焼夷(しょうい)弾をつり下げて打ち上げた秘密兵器。旧日本陸軍の登戸研究所が中心となって開発した。

 山田教授によると、一宮町周辺は、1944年2月に風船 ・・・

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