「神対応」反響呼んだディズニー担当者 “ランドからシーへ“1500人避難 10年前の決断語る【#あれから私は】

 日本有数の巨大テーマパーク、千葉県浦安市の東京ディズニーリゾート。その従業員らが東日本大震災の日にとった行動が、後に「神対応」として称賛された。来園者の頭を守るため売り物のぬいぐるみを配ったり、シャンデリアの妖精を演じてゲストを安全な場所へ誘導したり。中でも有名なエピソードが、普段は決して見せてはならない「バックヤード(舞台裏)を通る1500人の避難計画」だった。あれから10年。その決断を下した担当者は異動を経て再び震災当時と同じ部署に配属されていた。彼が今語るのは「あの対応に間違いはなかった」という確かな自信と、10年前もこの先も変わらない「ゲスト(来園者)の安全最優先」というオリエンタルランドの信念だった。
(デジタル編集部・山崎恵)

コロナ禍で人数制限しながら運営を続ける東京ディズニーランド=2020年10月コロナ禍で人数制限しながら運営を続ける東京ディズニーランド=2020年10月

 まだ肌寒さの残る2011年3月11日。東京ディズニーランドと東京ディズニーシーは春休み中の大学生や家族連れらでにぎわっていた。来園者は合わせて7万人。ちょうどディズニーシーで屋外ショーが始まったころ、激しい揺れが襲った。

 「これはパークが大変なことになるんじゃないか」

 ディズニーシーの運営責任者だった田村圭司さん(53)の脳裏には、地震の恐怖よりも先に来園者や従業員の姿が浮かんだ。すぐに緊急時の無線基地局となるセキュリティ棟へ急ぎ、けが人や建物の損壊についての情報を集めた。同時に、パークでの災害対応の基準が最高レベルの「ステージ3」に決定した。

 主にアトラクションの運転を中断する「ステージ2」までとは違い、ステージ3では来園者・従業員の全員を屋外に退避させ、建物に二次避難させるという大きなミッションが課せられる。

 「あまり公表していませんが、当時のパークの震度自体はぎりぎりステージ2のレベルだった。しかし誰もが尋常じゃない揺れだと判断し、ステージ3の発令が決まったんです」

 訓練は何度も繰り返してきたが、ステージ3の発令は初。一抹の不安もよぎった。

ランドからシーへ 1500人の大移動

東京ディズニーシーのシンボル、プロメテウス火山=オリエンタルランド提供東京ディズニーシーのシンボル、プロメテウス火山=オリエンタルランド提供

 パークでは、キャストが来園者の不安を取り除こうと「この建物は安全です」と一人一人への声掛けに徹したこともあり、屋外退避で大きな混乱は起きなかった。ただ問題はその後。来園者を建物に二次避難させるための安全確認に想像以上に時間を要した。当時は今に比べて安全診断を行えるスタッフの数や点検ルートが十分ではなかったためだ。

 徐々に日が暮れ気温は下がり、雨も降ってきた。ディズニーシーで二次避難の指揮をとっていた田村さんに、オリエンタルランドの災害統括本部から電話がかかってきた。「ランドで屋内に入れないお客さまが2千人ほどいる。シーに収容できるか」。

 田村さんはすぐさま自転車でシーの建物を見て回った。ショップ、レストラン、劇場…正直全員を収容できるかどうかは分からなかったが、決意も込めて答えた。「大丈夫、いけます」。その一言で、ランドからシーへの大移動が決定した。

 ただ、ランドとシーは背中合わせに立地しており、ランドの正面玄関から出てシーへ移動すると約30分もの道のりを歩かなければならなかった。外は暗く、浦安市を襲った液状化現象で道はガタガタと隆起していた。来園者の中には子ども連れも、ベビーカーの人も、お年寄りもいた。そんな危険な道を歩かせるわけにはいかない。田村さんはみじんの迷いもなく提案した。「パークの裏道を通ればすぐだ。バックヤードを通ってもらいましょう」

背中合わせで立地する東京ディズニーランド(左)と東京ディズニーシー(右)=オリエンタルランド提供背中合わせで立地する東京ディズニーランド(左)と東京ディズニーシー(右)=オリエンタルランド提供

◆「舞台裏」を見せる決断

 “夢と魔法の王国”をうたうディズニーの世界では、徹底して「非日常」の世界観が守られている。園内に一歩足を踏み入れると、あっという間に物語の世界に入り込み、現実を忘れてしまう。それは音楽や建物による演出だけではない。パークの周囲には土を高く盛り、木を植え、近くにあるはずのホテルも電車も園内から見えないよう工夫されている。

 従業員も世界観を彩る一部だ。テーマに合わせた演出や振る舞いを徹底し、現実世界につながるバックヤードは決して来園者に見せない。非日常の空間は「あらゆる世代の人々が一緒になって楽しむことができる場所であってほしい」というウォルト・ディズニーの思いを実現するための、ディズニーの根源でもある。

 だからこそ田村さんの提案に、統括本部では賛否が巻き起こった。

「どう考えたって近道を通した方がいい」
「しかしバックヤードだぞ。普段ゲストが通らない場所を安全に誘導できるのか…」

 30分ほど葛藤が続き、統括本部は結論を出した。
「現場を一番分かっているのはパーク責任者だ。現場に任せよう」

 本部からのGOサインが出た時、田村さんはすでに着々と誘導の準備を進めていた。「もしパークの外を通せと言われても反対してましたね」。ただちに投光器を用意し、誘導員を等間隔に配置。シーに近い木戸の近くにランドの来園者を集めた。その数1500人。午後10時から2回に分けて誘導し、最後の1人がシーの建物に入れたのは12日午前0時45分のことだった。

 結果、帰宅困難となった約2万人がパークで一夜を過ごした。田村さんは眠る間もなくパーク内の見回りや来園者に配る食事の手配などに奔走。11日の朝6時に出勤していた田村さんが来園者全員をパークから見送ったのは、12日の午後4時12分。「無事にお帰りいただけて本当によかった」。緊張感がようやく途切れた。「そうだ、うちも被災してるんだ」と思い出し、埼玉の家族に電話が繋がったのも夕方になってから。「全員無事だよ」。家族の声を聞き胸をなで下ろした。

航空写真を見ながら当時の避難経路を振り返る田村さん=2月、オリエンタルランド本社航空写真を見ながら当時の避難経路を振り返る田村さん=2月、オリエンタルランド本社

◆食糧配布で生きた「阪神淡路大震災」での教え

 パークでは商品のクッキーや非常用のひじきご飯などが無料で配られ、来園者の空腹と心を満たした。実はそこに「阪神淡路大震災での教訓」が生かされていたという。

 TDRの防災マニュアル作成の担当者だった田村さんは、1995年の阪神淡路大震災後、より実経験に基づいたマニュアルを作成するために神戸市を訪れ、避難所の運営方法などを学んだ。そこで感銘を受けたのが、「物は奪い合うと足りないが、分かち合うと足りる」という言葉。物資を取りに来てもらうと奪い合いになるが「災害弱者から配る」ときちんと伝えて人の手で配ると混乱は起きないと教わった。

 その教訓が生きた。12日の昼食に配った餃子ドッグは人数分に足りなかったが、田村さんは「絶対に大丈夫」と断言。スタッフが「お子さまやお年寄りを優先します」と明言して手渡して回ったところ「自分たちは大丈夫」「小さな子にあげてください」と譲り合う人が相次ぎ、足りないはずの餃子ドッグは半分以上余った。

 「これが日本人の素晴らしいところ。神戸の教えが本当だったと立証できた。私は自分の子どもにも『物が足りなかったら、人にどうぞって言うんだよ』と教えています」

阪神淡路大震災の教えを実生活でも生かす田村さん阪神淡路大震災の教えを実生活でも生かす田村さん

◆変わらない理念、進化するパーク

 さまざまなメディアから取材を受け、話題になったTDRの対応。しかし彼らは「全く特別なことはしていない。全員がお客さまの安全を第一に考えただけ」と語る。

 「寒そうなお客さまに従業員用のカイロを渡してもいいですか」
 「コスチュームの上着をお渡ししてもいいですか」

 震災当時、田村さんの元にはパークの従業員からこのような提案が次々と寄せられたという。「お客さまにとっていいと思うことは、大いにやろう」。その時の言葉は、10年経っても変わることのないTDR従業員の基本理念だ。

 当時、シーで来園者を励まし続けた広瀬紘大さん(39)もそんな理念を今へ受け継ぐ1人。来園者を不安にさせないよう「普段通り」の声掛けを心がけながらも、少しでも地震の状況を伝えようと携帯ラジオをパークに持ち出し、音量を上げてニュースを届けた。「本当はオフィスの物を夢の国に持って行っちゃだめなんですけどね」。

 現在、ガイドツアーのキャストの指導係となった広瀬さんは、マニュアルの徹底よりも「考えて行動できるキャスト」を育てていきたいと力を込めた。

震災当日のシーでの様子を振り返る広瀬さん=2月、オリエンタルランド本社震災当日のシーでの様子を振り返る広瀬さん=2月、オリエンタルランド本社

 一方、TDRの防災対策は進化を遂げている。屋内への二次避難が遅れた反省から、建物の安全確認を行える人員を増員。今後起こりうる大規模災害に備え、ゲストをパーク内に宿泊させる想定での訓練も始めた。

 震災当時は約1カ月間の休園。そして2020年には新型コロナウイルスの感染拡大により4カ月間の休園という「非常事態」を経験した。現在も入場人数の制限など、普段とは異なる運営方法でゲストをもてなしている。

 「休園した後に再び立ち上がるというプロセスを我々は2度も経験した。震災がなければ経験に基づいた防災訓練はできていないし、コロナがなければ今のような(感染対策に徹した)運営もなかった。経験を生かしながら常に進化していくことが我々には必要です」と田村さん。10年前には東京ディズニーランド、ディズニーシーの再開がファンだけでなく日本中に光を与えた。「おかえりなさい」。そう言って来園者を迎えたキャストの目には涙があふれた。

 田村さんや広瀬さんは口を揃えて語る。「あの時はつらい時期を乗り越えて、また会えた喜びをゲストと一緒に感じた。人々の活力や癒しになる場所を提供したい。その気持ちは今も全く同じです」

進化を続ける東京ディズニーリゾート=オリエンタルランド提供進化を続ける東京ディズニーリゾート=オリエンタルランド提供

 ※この記事は、千葉日報とYahoo!ニュースによる連携企画記事です。東日本大震災後の千葉の「あれから」について、全4回の連載で伝えます。


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