
東日本大震災で津波被害に遭った千葉県旭市は、行方不明者2人を含む16人が犠牲になった。未曽有の災害で今起こっていることを「記録する」使命を胸に刻み、被災直後から復旧・復興の道のりにカメラを向け続けた市職員たちがいた。当時広報担当だった石田喜宏さん(50)もその1人。被災者の心情を察し当初はためらいを感じたが、それまでとは「桁違い」のシャッターを切った。同僚と撮りためた写真は市の記録誌や防災資料館の展示パネルに活用され、震災を伝えている。(銚子・海匝支局 橋本ひとみ)
「とんでもないことが」あちこちで向けたカメラ
震災の発生した3月11日午後、石田さんは内陸にある市役所で普段通り仕事をしていた。「ガタガタガタと窓が音を立て、経験したことがない揺れだった。職員も来訪者も多くの人が外に避難した」
太平洋に面する旭市は最大震度5強を観測。津波は複数回押し寄せ、関連死を含め県内で最多の犠牲者が出た。
石田さんを含む広報広聴班の職員3人は発生直後の状況を記録するため車で海方向に向かった。道路が割れて盛り上がり、車が引っかかるように立ち往生していた。液状化現象が起きていた。
持ち主と一緒に動かそうとしたが、人力ではなんともできなかった。近くではトラックも動けなくなっていた。あちこちで映像用のカメラを向けた。さらに車を進めると、津波が達した痕跡があった。道路には泥やがれきが散らばり、近くの家や店舗の建物が壊れていた。
「とんでもないことが起こっている」。危険と考えて引き返した。午後5時20分ごろに襲来した最大の津波の前だった。
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