パラ銀は「スタートライン」 車いすバスケヘッドコーチ京谷氏 浦安市へ快挙報告 競技普及の夢語る

東京パラリンピック・車いすバスケットボール男子日本代表の京谷ヘッドコーチ(右)と内田市長=浦安市
東京パラリンピック・車いすバスケットボール男子日本代表の京谷ヘッドコーチ(右)と内田市長=浦安市

 東京パラリンピックで、車いすバスケットボール男子日本代表を史上最高の銀メダルに導いたヘッドコーチ(HC)、京谷和幸さん(50)=浦安市在住=が、同市役所を訪れ快挙を報告した。京谷さんは「銀メダルは一つのスタートライン」と話し、子どもたちへのパラ競技普及など新たな夢を語った。

 京谷さんは北海道出身。ジェフユナイテッド市原(現市原・千葉)に所属した元サッカー選手で、室蘭大谷高から古河電工へ進み、その後ジェフとプロ契約を結んだ。Jリーグが開幕した1993年に交通事故で脊髄を損傷し、車いす生活となった。

 転機が訪れたのは浦安市役所での出会いだった。身体障害者の手続きを受けるために訪れた際、勤務していたのが今でも「大恩人」と慕う車いすバスケの元代表HCの小滝修さんだった。車いすバスケを知るきっかけとなり、その後は千葉ホークスで活躍、パラ大会は2012年のロンドンまで4度出場した。

 東京パラは、コロナ禍で1年延期となったが「1年の猶予がもらえた」と捉え、1・5倍の運動量やディフェンスで世界に勝つなどの「京谷イズム」を選手に伝え続けた。京谷さんは「コート上でやってきたことが出た時、本当にうれしかった」と振り返る。

 一方で「世界の壁」の高さも感じている。決勝では一進一退の攻防が続く中、強豪の米国に60-64で敗れた。京谷さんは日本がトップレベルを維持するためには個人の力や、メンタル面での強化が必要だと強調。「銀メダルは一つのスタートラインに変えて、新たな高みを目指して日本代表チームは進んでいくと思う」

 自国開催だったこともあり、反響の大きさを実感しているという京谷さん。現在はプロジェクトを立ち上げ、障害がある子どもたちがスポーツなどに触れる機会を設けている。「きっかけをつくってそこから発展して、パラ選手が出てくるといいなと思う」と、未来を見据えた。

 内田悦嗣市長は、京谷さんが以前に県教委の教育委員を務めていたことに触れ「子どもたちの未来や教育に尽力した人が率いるチームが素晴らしい成績を収めた。さらなる活躍を期待している」と激励した。


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