2020夏季千葉県高等学校野球大会 あの瞬間を捉えた写真も多数

地元紙加工、虚実の狭間へ 八千代の写真家、平本成海 現代メディアへ鋭い批評性

「令和元年8月22日(1110日目)」
「令和元年8月22日(1110日目)」
「令和元年10月18日(1167日目)」
「令和元年10月18日(1167日目)」
千葉日報を素材とした作品制作を続けている平本成海
千葉日報を素材とした作品制作を続けている平本成海

 八千代市の写真家、平本成海(36)は自宅に届く地元紙「千葉日報」を用い、毎日、コラージュ作品を作り続けている気鋭のアーティスト。虚実の狭間に誘うような謎めいた作品群が高い評価を受け、若手クリエーターのコンペティション「第20回写真1_WALL」(2019年)でグランプリに輝いた。平本が地元紙にこだわる理由に迫るとともに、地元紙の「中の人」が作品から感じた思いを綴る。

(平口亜土)

 新聞に載った写真などをカメラで撮影し、パソコンで素材同士を組み合わせたり、加工を施して作品を完成させる。自らに課すルールは、当日の千葉日報だけを使うこと、その日のうちに1作品を仕上げSNSのプライベートアカウントに投稿すること、そして自宅の自室で制作すること。

 広大な滝の上を鹿が歩く幻想的な光景、不自然にゆがんだ建物、何に使うのか分からない奇妙な商品―。作品名は日付のみで、謎めいたイメージの数々が想像力を刺激する。報道をゆがめて作られる作品群は「フェイクニュース」を模しているようにも見える。

 元の記事とは全く無関係な新たなイメージが提示されるのが面白い。紙のざらついた素材感や印刷の網点模様、うっすら透けた裏面の文字など、新聞の特性も巧みに活用している。

 2016年8月から新聞を使った作品制作を始めた。接写用レンズの性能を測るために新聞を撮影した際、「記事の文脈と切り離された写真が生まれるのが面白い」と感じたのがきっかけだった。

 当初全国紙も用いたが、今は千葉日報だけ。自身が目指す「パブリックとプライベートの間」「グローバルとローカルの間」の表現にマッチしたという。自室の私的空間から、地元の媒体を素材とした作品群を広大な世界に向けて発信し、両者を結ぶ―というユニークな試みだ。

 「1_WALL」の審査会では「非常に完成度が高い」「一つの新聞記事からイメージが転がっていくような感覚があり面白い」などと称賛の声が相次いだ。本名の山崎雄策でも写真家として活躍する平本だが、「地元紙を使った作品づくりは表現の多彩な可能性が発見でき、全く飽きることがない。この活動は一生続けるつもり」と話す。

     ◇

 「中の人」の私が平本作品から受けた印象は、まず一地元紙からこんなに多彩なイメージを生み出せるのか、という新鮮な驚きだ。が、さらに強烈に感じたのは、現代のメディア状況への鋭い批評性だった。

 かつて新聞は「社会を映す鏡」と言われた。が、今やほぼ忘れ去られた表現だろう。スマートフォンやSNSは現在、新聞などの旧来型メディアよりも人々に近く、情報流通量も圧倒的だ。しかし、それら新興メディアも「鏡」の役割を継承するようには見えない。

 「映え」という言葉に象徴されるように、SNS上には自身を過剰に演出した情報があふれているし、しばしば発信元が定かでない真偽不明の情報も拡散される。新型コロナウイルス禍では、デマが大量に飛び交うのにSNSが大いに寄与した。新興メディアは、実は世界を不透明にしている側面もあるのだ。

 こんな状況から、新聞の復権もあるかもしれない、と漠然と考えたこともある。新聞には「客観報道主義」という規範がある。主観は記事から排し、事実のみを公平に伝えるべき、という考え方だ。ネット上に虚構がはびこる中、新聞の可能性はその点にこそあるのではと考えたのだ。

 が、平本作品を見て、再考を迫られることになった。我々新聞人が「客観的で正しい」と考え発信する日々の記事が、実はそうとも限らない、ということを思い起こさせるからだ。

 平本は新聞上の「事実」から自身の判断で素材を選び、組み合わせ、世に発信する。一方、新聞制作も似たようなことをしているのに気づく。記事はあらゆる事実の選択肢の中から記者が選び取っていく過程の末に生まれる。どんなに客観を装っても、何を書き、書かないのか、何を撮影し、撮影しないのか、また、どの情報同士を組み合わせるのか…といった選択の中に、どうしても主観が顔をのぞかせてしまう。

 それを作為的に行うと「偏向報道」となってしまうが、平本作品はそうした報道がしばしば批判されている現状への風刺とも受け取れる。

 いずれにせよ、旧来型・新興メディアとも「現代社会の映し鏡」となることが困難な状況となっている今、実は平本が発信する虚実入り交じったイメージ群こそ、それに最も近い姿なのかもしれない。地元に根を下ろす姿勢も、ある意味で現代的だ。ただ、我々新聞人としては「鏡」の座を奪われたままで良いのかどうか、改めて考えていかねばならない問題でもある。


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