最新発掘 解明へ一歩 従来説明を見直す成果 【ちば縄文物語 特別史跡加曽利貝塚を未来へ】(1)

関東屈指の大きさという大型竪穴住居跡。説明している部分が入り口とみられる=昨年11月27日、千葉市若葉区の加曽利貝塚
関東屈指の大きさという大型竪穴住居跡。説明している部分が入り口とみられる=昨年11月27日、千葉市若葉区の加曽利貝塚
発掘終了後も出土した土器の接合作業などが続いている=昨年12月12日、千葉市中央区の同市埋蔵文化財調査センター
発掘終了後も出土した土器の接合作業などが続いている=昨年12月12日、千葉市中央区の同市埋蔵文化財調査センター

 国の特別史跡・加曽利貝塚(千葉市若葉区)で、半世紀ぶりに行われた本格的な発掘調査が昨年12月に終了した。日本を代表する国内最大級の貝塚だが、実は過去の発掘面積は全体の約7%。教科書にも載った従来の加曽利貝塚像は、このわずかな調査を基に執筆されたものだった。最新の発掘で、千葉が誇る郷土遺産の新たな価値が浮かび上がってきた。

 同貝塚は、5千~4千年前の縄文中期に形成された円形の北貝塚(直径140メートル)と、4千~3千年前の後期にできた、だ円形の南貝塚(長径190メートル)が連結し、8字形をした国内唯一の貝塚とされる。「日本文化の象徴」として2017年10月、縄文時代の遺跡では4件目、貝塚では唯一の特別史跡になった。

◆調査面積7%

 “国の宝”というお墨付きをもらった同貝塚だが、同市埋蔵文化財調査センターの西野雅人所長(57)は「分かっていない部分もかなり多かった」と説明する。過去の発掘面積は史跡区域15万1千平方メートルのうち、わずか約7%にとどまっていたからだ。

 特に集落の終末期に当たる縄文晩期(約3千~2500年前)については、土器が出土していたので人々が暮らしていたことは分かっていたが、その実態はベールに包まれていた。

 そこで市教委は17年から、半世紀ぶりの本格発掘に着手。19年まで3度にわたり、南貝塚の北東端(700平方メートル)を調査した。

◆晩期まで拠点

 その結果、晩期の竪穴住居跡3軒を確認。このうち1軒は、直径が通常の倍はある約13メートル、深さが約1・4メートルの大型住居だった。同貝塚博物館の加納実館長(57)が「関東屈指の大きさ」とうなるサイズだ。集団生活の場や集会所だった可能性が指摘されている。

 直径約7メートルの住居跡からは、長さ35~39センチの石剣が3本出土した。2本は火にあぶられた形跡があり、周辺に焼けた土があったことから、住居を使わなくなった直後に何らかの儀礼が行われたとみられる。さらに、幅約1・5メートルの溝も発掘。集落の中央から東の坂月川に向かう道だった可能性がある。こうした発掘調査の結果は、未解明な部分が多かった縄文晩期の集落構造や精神文化を研究する上で貴重な資料となりそうだ。

 発掘を担当した同センターの松田光太郎さん(53)は「関東では縄文晩期になると集落や住居の数が減るが、加曽利貝塚では中期、後期のみならず晩期にまで拠点的な集落が存続していた」と解説する。「加曽利貝塚は中期から後期の遺跡」とする従来の説明を見直す必要が出てきたという。

 松田さんは「2千数百年にわたって人々が住み続けた極めて珍しい遺跡。その間の環境変化にうまく適応していたのだろう。地球温暖化で環境が変化する時代に生きる私たちにも参考になる部分があるのでは」と指摘し、出土資料の分析を進める。同センターは、今年以降も別の区域で計画的に発掘を行い、遺跡の全容解明を目指す。

          ◇

 私たちのルーツをひもとく鍵が眠っている加曽利貝塚。特別史跡指定で再び注目を集める縄文遺跡を地域に、そして未来につなぐ活動を紹介し、郷土遺産のあるべき姿を探る。(地方部・武内博志、次回から千葉市・首都圏版に掲載)


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