利根男さんがいた日

 千葉日報文化部から電話があり、出ると部長さんからだった。

 「読者からの問い合わせで、以前、当欄で紹介された林利根男さんについて、詳細が知りたいということです」

 部長さんは続けて「丁寧な口調に余計、切実さが伝わってくる思いです。できれば電話をしてやってくれませんか」。ふだんは優柔不断な私もこの時ばかりは即決断し、教えられた先方の番号に電話をかけてみることにした。

 利根男さんは、駐在所勤務の父上のお子さんとして、利根川近辺で生まれたので「利根川」と命名されたが、やがて、川と一緒ではかわいそうだという母上の懇願もあり、利根男と改名された。

 やがて成長した利根男さんは一橋大学に入り、石原慎太郎さんと成績を競うほどになり、大学を卒業すると、慎太郎さんは小説の道へ、利根男さんはテレビの世界へと踏み出す。

 私も遅れてテレビライターとなり、すぐに「制作工房」の名を耳にするようになる。利根男さんのオフィスであり、すでにテレビ界では名が通っていて、主にクイズ番組を手がけておられた。

 利根男さんと私はたちまち縁ができた。フジテレビの「スター千一夜」で名を売った白鳥隆一プロデューサーが、東京タワースタジオの新番組「タワープレゼント」を手がけるようになり、利根男さんが構成作家として付き、続いて私がコンビ作家として加入することになる。

 その後「タワープレゼント」は藤森吉之プロデューサーにタッチされるが、利根男さんと私はそのままで、藤森・林・酒井、それにADの宮本洋氏を加えた四人組は、公私共に有意義な日々を過ごした。......


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