ワインレッドの酒

  • LINEで送る

 十月三十一日に、房総文化懇話会の「第二回例会」があった。

 九月に定年退職した河野良恒さんが来ると聞いて、稲毛の自宅近くからタクシーに乗った。

 私はタクシーに一人で乗ると、きまって運転手と口論するので、ほとんど乗らないが、この日は目をつぶって乗った。

 開会時の午後五時にはちょっと遅れたが、リーダーの高岡良樹さんが開会を待ってくれていて、すべりこめた。

 プログラムは二部構成で、一部は荘司文雄さんの酒造り談義だった。

 荘司さんは、木戸泉酒造社長で、中国で初めて日本酒を醸造したことをテーマに話された。

 専門分野には私らの理解力が及ばないが、それでもニコニコ顔で語ってくれて、中国人とのやりとりなど興味深かった。

 中国のビジネスマンから、中国での日本酒造りの依頼を受けたとき、社長さんは、リスクを負いたくない反面、男のロマンを感じたという。それに、そもそも酒の醸造技術は中国から伝わってきたものであり、恩返しの意味もある。

 「ところが始めてみて、中国人の衛生観念の無さに参りました」

 トイレは不潔だし、手洗いもしない。日本では精進潔斎して酒造りに臨むのに、中国人は不潔など平ちゃら。微生物を扱う技術だから清潔第一なのだと、口を酸っぱくして言い続けてもダメ。

 「その後、この会社とは合弁を解消しましたが、中国人はしたたかで、いまだに銘柄と木戸泉の社名を返しません」

 荘司社長のスピーチ終了後、木戸泉酒造の各銘酒試飲会があり、千葉日報の岡田正弘現文化部長さんの指名で、私が乾杯の音頭取りになった。

 外科の傷害に負け、内科の疾病に敗れた自分の現状を語り、声を張り上げ「カンパイ」とやったが、客席からは音沙汰無し。自分では「完敗」を洒落(しゃれ)たつもりだったが、ズッコケ。黙って酒を飲む。

 日本酒なのに、ワインレッドの銘柄もあり、甘くて飲みやすかったが、やはり日本酒なりのコクがあった。

 荘司文雄さんは、実は河野さんの友人であり、千葉日報学芸欄の「房総人物伝」に登場したこともある。担当は当時文化部長だった河野良恒さん。

 その河野さんが起立して挨拶し、二部は「河野さんに感謝する会」ということになる。

 当会は「房総文化懇話会」と称するだけに、集まる人はだれでも文化部のせわになっている。特に私は河野文化部長を悩ませていた。...