マナーのいろいろ

  • LINEで送る

 ふつう「気遣い」というと、相手の心身の不安を心配して、それなりの配慮をしてやることだろうが、私の「気遣い」は、人を気遣うというよりも、自分の弱気を庇護(ひご)するためのものだ。

 例えば長年「病」を養っていて、それなりに歩調ものろい。歩いていて、男たちには無論のこと、女の足にも簡単に抜かれる。

 歩道を歩いていて、男どもに抜かれるのはまあ仕方がないが、女に抜かれるとやはり敵愾心(てきがいしん)が燃える。

 抜かれてすぐ、こちらも早足で追いかけるが、抜き返すことはない。相手のプライドを損傷することで、こちらのかぼそい神経も痛むからである。

 つまり、抜かれて、早足で追いかけて、ターゲットの背中に付いているだけだが、最近はこの敵愾心も鎮静化された。

 いっぺん追い着き、抜く気もなく尻に付いていたら、女が振り向き「痴漢」と言った。瞬間、血の気の失せる思いがした。

 それからは抜かれても追いかけず、むしろ歩速を調節し、女との間隔を開き、先方のプライドを傷付けないようにし、その分だけ自尊心を傷付けている。

 どちらにしても傷付くなら、自発的に、あるいは自分の演出で傷付いた方が気らくだというのが、屁理屈ながら私の「気遣い」であり、マナーのようだ。

 私はマナーのいい人間だと言われる。ただそう言ってくれる人たちも、私のマナーが、「卑屈」から出て「萎縮」で終わることは知らない。

 私のマナーは対人関係で変化するが、定期的に会う塾の生徒方に対するマナーは、それなりの変化があっても、「卑屈」や「萎縮」はない。・・・