死後、名声を得る 八木重吉(15)

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 重吉の死後、第2詩集『貧しき信徒』が昭和3年に出版され、その名は一部で知られるようになったものの、まだ無名に近かった。その後、戦下の出版困難な17年に、彼を愛惜する加藤武雄・草野心平・佐藤惣之助・八木とみ子らによって『≪山雅房版≫八木重吉詩集』が刊行される。

 「付録」で高村光太郎は「きれいなものが心に浮んで来る」と記し、重吉の詩「草をむしれば/あたりが かるくなつてくる/わたしが/草をむしつてゐるだけになつてくる」をとりあげている。高村は若い詩人たちのよき理解者で、草野心平と深い交流があった。18年に高村が「八木重吉詩集序」を執筆したものの、残念ながら詩集は未刊に終ったらしい。その一文に「詩人八木重吉の詩は不朽(ふきゅう)である。このきよい、心のしたたりのやうな詩はいかなる世代の中にあつても死なない」(筑摩書房『高村光太郎全集』八巻昭和33年刊)と書いている。

 重吉の名が名声を得るのは、その詩が偶然、創元社に関係していた小林秀雄の目にふれたことに起因している。23年に草野心平の編集により『≪創元選書版≫八木重吉詩集』が刊行。26年に創元文庫版も出版され、多くの目にふれるようになる。

 草野心平は、『≪創元選書版≫八木重吉詩集』「覚え書」で「八木重吉は写真でみても分るやうにさびしい顔をしている。こんなさびしい顔は滅多にない」「私は詩とはかういふものであるといふことを先づきつぱりと断言しておく」「八木重吉のやうな詩は従来日本になかつた。実は現在でもない」(「覚え書」)と高く評価している。・・・