2022年3月6日 14:05 | 有料記事

地響きのような爆発音、立ち上がる真っ赤な炎と黒煙―。東日本大震災の本震直後に発生したコスモ石油千葉製油所(市原市)の爆発炎上事故。作業員ら6人がけがを負い、鎮火まで11日間を要した「想定外の事故」は、熟練の消防士にとっても難しい判断の連続だった。善意か悪意か。「有害物質の雨が降る」というデマを伝えるチェーンメールも拡散し、近隣住民は不安な日々を過ごした。あれから11年。「日本の縮図」とも語られる千葉県市原市で見えた震災の教訓とは―。(報道部・安西李姫)
2011年3月11日、市原市内は震度5弱の大きな揺れだった。点検のため満水状態で放置されていたコスモ石油千葉製油所のタンクが、余震の際に荷重に耐えられず倒壊。配管から漏れたガスに引火し、大規模火災が発生した。大地を揺るがすような激しい爆発音が鳴り、巨大な火柱と黒煙が立ち上がった。

▽消えかかる炎、よぎる再爆発
「我々は火を消してはいけなかった」
市原市消防局で現場指揮を取った天野正次さん(56)は、難しい判断の連続だった当時を振り返り、火災が長引いた理由を説明する。
事故から11年、度々聞かれた質問は「なぜ11日間も消せなかったのか」。大規模災害 ・・・
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