郷土の歴史を学ぶ仲間たちとつくる「至徳堂を知る会」の移動学習ツアーで初夏の一日、佐原や香取神宮などの観光を楽しんだ。バスの窓から利根川周辺の青々した水田を眺めながらたどり着いた水郷のたたずまいに、たっぷりと昔の繁栄を味わい尽くした成熟と静かで古拙な風情を感じた。...
利根川水運の栄枯盛衰を知るには江戸末期、下総国相馬郡布川村(茨城県北相馬郡利根町)の医師、赤松宗旦著す『利根川図志』(岩波文庫、1938年)をひもとくにしくはない。対岸の我孫子市布佐で多感な少年時代を過ごした柳田国男は、同書の解題で「堤防は無暗に高くなり、幾つかの鉄橋が架って汽車が走り、其代りには縦の水運が衰えてしまって、松の林を行く白帆の影も消え、あれだけ多くの高瀬舟が来ては風待ちして居た処々の川湊は何れも川と縁を切ってしまって」かつての面影もないと風景の激変にかこつけ、利根舟運へばん歌を捧げる。
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