玄関まで迫った津波「死ぬのかも」 知られていなかった被災地、語り継ぐ27歳 #知り続ける

小学校の防災教室で講師を務めるトリプルアイプロジェクトの大木沙織さん(左)と島田咲良さん=2022年9月、旭市
小学校の防災教室で講師を務めるトリプルアイプロジェクトの大木沙織さん(左)と島田咲良さん=2022年9月、旭市

 2011年3月に発生した東日本大震災で津波に襲われ、行方不明2人を含む16人が犠牲となった千葉県旭市。この悲劇を繰り返さないようにと、同市在住の大木沙織さん(27)は震災当時中学3年生だった同級生を中心にした仲間とグループをつくり、震災を語り継いだり、いざという時の対応を伝えたりと地道に奮闘している。生まれ育った古里を離れていた大学時代、「地元のために何かしよう」と呼びかけてから、もうすぐ7年。「表に出るタイプじゃない」という大木さんが活動を始めた背景には、故郷が被災地であると知られていなかったことへの悲しみと、東北の被災地で触れた「本当の復興は心の復興」との声があった。(銚子・海匝支局 橋本ひとみ)

■小学校で防災教室

 「自分の命は自分で守れるように行動できるようにしましょう」

 旭市内の小学校で行われた「iii project(トリプルアイプロジェクト)」による防災教室。大木さんらが講師となって小学4年生に呼び掛けた。東日本大震災後に生まれた、「震災を知らない世代」だ。

 地震直後の記憶や、津波で家が被災したメンバーの体験談を話したり、津波で物が押し寄せた室内写真を紹介すると、児童らは真剣な表情で聞き入った。いざという時にどうするか、防災クイズも出題。被災時に履きものがない時や避難所で役立つ新聞紙を使ったスリッパ作りにも児童と一緒に取り組んだ。

 市内出身の若い「先輩」たちの話に聞き入った児童からは「もし地震が起こったらきょうのことを役立てたい」などの感想が寄せられた。

■中学時代の恐怖

津波が押し寄せた当時の飯岡中学校の校庭。体育館などが床上浸水した(旭市提供)

津波が押し寄せた当時の飯岡中学校の校庭。体育館などが床上浸水した(旭市提供)

 南部が太平洋に面する旭市では、東日本大震災で震災関連死1人を含め14人が亡くなり、2人が行方不明となった。大地震から2時間半が経過した午後5時20分ごろ、最大の津波が襲来し、海側中心に甚大な被害が発生。液状化による被害にも見舞われ、336世帯の住宅が全壊し、一部損壊以上の住宅被害は3829世帯に上った。

 大木さんは津波被害が最も深刻だった飯岡地区の出身。当時は卒業式を数日後に控えた市立飯岡中学校の3年生だった。

 3月11日、学校の教室で友達と卒業アルバムを開いていると、突然強い揺れに襲われ、避難訓練の通りにすぐに机の下に身を隠した。「いつもより大きい地震だな」とは感じたが、津波がやって来るとは予想だにしなかった。

 内陸にある公園に生徒みんなで歩いて避難する途中、再度大きな揺れに見舞われ、「やばそう」と感じた。親の車で帰宅後、隣の銚子市にある母親の実家に避難しようと準備していたとき、「波が来ている」と母親の声で気付いた。

 家の前の通りに黒い水が押し寄せ、川のようになっていた。津波は玄関までわずかに迫っていた。「ここに取り残されて、このまま家族と死ぬのかも」。死の恐怖が頭をよぎった。波が引いてから車を出して避難し、事なきを得た。

 母親の実家で一夜を過ごした後、飯岡の地元に戻った。津波被害があった近所で泥かきをしたり、汚れてしまったものを洗う作業を手伝ったりしたが 、余震が起こるたびに津波を警戒して高台まで避難したことを覚えている。

 津波被害の深刻さを実感したのは後日。地震直後は片付けもあり、被害に遭った人に失礼にならないように被害を見て歩くこともなく、家の周辺の限られた地域しか目にしていなかった。地震から3、4日後、用事のために近所を出て通りを進むと、被災した家や浸水して外に出された家具を目にした。想像以上の被害の広がりに驚いた。

 卒業式の会場となる中学校の体育館も津波で浸水。教職員や生徒、卒業生らが復旧作業に当たり、予定より3日遅れの3月18日に卒業式が開かれた。「和やかに別れを惜しむような雰囲気ではなかった」。

 4月、入学した銚子市の高校で出身中学を告げると、「津波大丈夫だった?」と声を掛けられ、たくさんの人が心配してくれた。旭市で甚大な被害があったことは市外でもよく知られていた。

 ただ、千葉県の外では、そうではなかった。卒業後、地元を離れ、神奈川県内の大学へと進学。自己紹介で出身地を伝えても、震災について聞かれることはない。旭市が被災地としてほとんど知られていな ・・・

【残り 2903文字、写真 4 枚】



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