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商売哲学は「信用」 達成したい〝大志〟貫く 実学が拓いた軌跡 商大出身者の挑戦(第1回) 株式会社カネシ商事 堀江 昇 会長 【千葉商科大学創立100周年記念特別企画】

 千葉商科大学は、実社会に資する「実学」を礎に、高い倫理観と大局的視座を備えた治道家の育成を建学の理念としてきた。本企画では、その理念を胸に刻み、実業の現場において社会と真摯に向き合ってきた卒業生の軌跡を紹介する。学びはいかに仕事と結びつき、一人ひとりの道を拓いてきたのか。1964(昭和39)年に同大学を卒業し、現在、食品卸業を営む株式会社カネシ商事の堀江昇会長に話を伺った。

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自身の半生を語る堀江昇会長

 ラーメン愛好家に知らぬものはない「カネシ醤油」。今や人気店の看板に掲げられ、マニアの心をつかむそのブランド誕生秘話は、株式会社カネシ商事の創業者、堀江昇会長の激動の半生抜きには語れない。

 長い歴史の中で日本の食文化を支えてきた、流行に左右されない調味料の飛び込み営業で幕を開けた創業期。困難を乗り越え、事業を築き上げた足跡をたどる。

授業はいつも一番前で

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青いラベルのタンクと堀江会長

 現在の東京都港区に生まれ、終戦を機に、家族とともに4歳で千葉県へ移り住んだ。印旛郡大森町(現在の印西市北西部)で育ち、千葉商科大学へ入学した堀江さんの、学生時代の記憶は「授業はいつも一番前で教授の顔を見ながら聞いていた」こと。「とにかく頑張って勉強しなくちゃ、という気持ちが強くて、1日も休まなかったよ」と懐かしむ。

 1964(昭39)年3月に卒業すると、証券会社へ入社。そこは「NOの世界」だった。当時の日本経済は大不況の真っただ中。株価が低迷し、営業は想像以上に厳しかったという。「1軒残さず、商店街へ飛び込め」という徹底した会社の営業方針のもと、日々奔走するが、顧客からは冷たくあしらわれ、断られ続け、精神的にも疲弊。「心はボロボロになり、長く勤める場所じゃないと思った」。

転職、倒産、そして起業

 堀江さんは3年で証券会社を退職。顧客だった繊維会社に転職し、ナンバー2となって営業に励むが、この会社は最終的に倒産してしまう。

 続けて二度の挫折を味わい、自身の進むべき道を熟考した。「人に使われるってこんなものか。よし、定年のない仕事を俺が作る」。そう決意した堀江さんは、幼少期を過ごした街のしょうゆ店を、ふと思い出す。繊維会社では流行に左右され、刺しゅう一つの違いで売れ筋が決まった。流行がある製品は、必ずデッドストックを生む。しかし、しょうゆは流行に左右されず、100年以上の歴史を持つ製造工場も少なくない。「これは潰れることのない、努力を積み重ねれば、必ずうまくいく仕事だ」と確信した。

人気ラーメン店との縁

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カネシ醤油を使ったラーメン

 1971(昭46)年、30歳を迎えた堀江さんは、しょうゆを扱う経営者として新たな人生を踏み出す。しかし、資金も売り先も仕入先もない裸一貫、ゼロからのスタートだった。堀江さんは粘り強い交渉の末にしょうゆの仕入れに成功。自らトラックを運転して千葉、東京、神奈川、埼玉の商店街を片っ端から回り、飛び込みで営業する。1日3件、1カ月で75件、2カ月で150件…。次第に顧客が増え、事業が拡大し、人を雇って配送を任せることで、自身は新規開拓営業に専念した。

 そして、ある1軒のラーメン店が、堀江さんのしょうゆを採用する。太麺で濃厚なスープのラーメンに、マイルドなうま味のあるしょうゆがベストマッチ。全国のラーメン好きをとりこにし、その人気に火をつけた。この運命的な出会いが、現在の確固たるしょうゆブランドとしての地位を確立する大きな契機となった。

開業支援で次世代育成

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堀江会長を慕う「のスた・凛 本店(東京都品川区)」の山中正人代表

 その後、多くのラーメン店主たちが堀江さんのしょうゆの味に触発され、全国各地にその輪が広がった。インターネット上には、カネシ醤油の謎をさぐる記事が多数掲載され、しょうゆ容器のラベルを見たラーメン愛好家が直接会社を訪ねてくることもある。

 しょうゆを卸すだけに留まらず、堀江さんは多くのラーメン店の開業を資金面で支援し、陰でその成長を支えてきた。その商売哲学は「信用」の一言に尽きる。大手のチェーン店や食品商社からのオファーも、既存顧客との競合を避けるため断り続けた。信用を何よりも重んじ、決して手を抜かないその姿勢が、ブランドの魅力の源泉となった。

 現在、堀江さんは経営の第一線から退き、次女の麻美子さんが社長を務める。「インターネットを駆使して、全国からの受注や発送作業を担ってくれている。娘が経営者として優秀なのは、何と言っても人間性」と、うれしそうに話す。60年以上前に母校で学んだ知識は、ビジネスの礎となり、次世代へ、後進へ、連綿と続いていく。

成功への近道などない

 かつて、堀江さんは司馬遼太郎の歴史小説「峠」に出会い、その中で描かれた陽明学に感銘を受け、自身の考え方や生き方を見つめ直した。成功への道筋は「人生をかけて達成したい〝大志〟を抱くこと」、そして「成功への近道はなく、顧客を大切にし、小さな努力を積み重ね、人の倍以上の働きをすることが重要だ」と語る。その人生哲学は、陽明学の「知識は行動を伴ってこそ真実となり、行動が知識を完成させる」という〝知行合一〟に根差している。

 85歳を迎える今、若い世代に向けてエールを送る。「過去の失敗や貧しさを恐れる必要はない。逆境こそが魂を磨き、努力を生む原動力となる」。

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本社看板の前で。左から堀江会長、妻の佐知子専務、次女の麻美子社長

堀江 昇
1964(昭39)年3月卒業

ほりえ のぼる 1941(昭16)年5月、東京都港区に生まれる。4歳で母の実家がある印旛郡大森町(現在の印西市北西部)へ家族で移り住む。千葉商科大学卒業後、証券会社、繊維会社の営業職を経て1971(昭46)年、30歳で起業。「カネシ醤油」のブランド名で、しょうゆをはじめとした食品卸業を立ちあげ、株式会社カネシ商事を設立。現在は会長。

株式会社 カネシ商事

●創  業 1971(昭46)年
●事業内容 食品卸業
●事業所 神奈川県川崎市中原区中丸子334