
三方を海に囲まれて河川が多く、水運が発達していた房総半島。関東大震災や戦争、東京オリンピックなど時代の要請を受けて道路整備開通が急ピッチで進み首都圏とのネットワークが構築され、県の経済発展へ大きく貢献した。今後、経済再活性化や少子化問題など県が抱える課題の解決へ、新たな道路の整備が期待されている。
◆水運から道路へ 関東大震災で一変
明治時代以前の県内道路は、参勤交代と農水産物の物流ルートとして整備され、現在の幹線道路の基となっている。千葉県は水運が発達していたために鉄道の敷設が遅れ、明治政府は道路よりも鉄道網の整備に主眼を置いていた。1899年に自動車が輸入されたが、県では道路整備が遅れを取っていた。
この事態を一変させたのが、関東大震災(1923年)だ。鉄道網が寸断され、応急バスの輸送に難航したことで、道路整備の重要性が見直され橋梁や道路の整備が進められた。
国道は1912年時点で、道路は市川町から千葉町(現千葉市中央区)間を結ぶ第13号線(現・国道14号線)と松戸町から我孫子町間を結ぶ第14号線(現・国道6号線)の2路線だったが、自動車産業の発展や戦後復興事業として、1950年ごろからようやく道路整備が本格化。経済成長や国民生活の質の向上のため道路整備が必要とされるようになった。
◆環状道路の時代到来
千葉と東京を結ぶ大動脈、国道14号線が通称「千葉街道」と呼ばれるようになったのは、1873年に千葉市が県庁所在地になってからだ。1955年ごろには京葉臨海工業地帯の発展に伴い交通量が増加。その緩和を図るために京葉道路が建設された。
1997年には、東京湾を横断して千葉県と神奈川県を結ぶ東京湾横断道路(アクアライン)が完成した。また、1978年に工事が着手された東京外かく環状道路(外環)は、市川市、松戸市などを通り、関越自動車道まで連絡。首都圏の道路ネットワークは本格的な環状道路時代を迎えた。
さらに、圏央道とともに首都圏を結ぶネットワークの一環として造られた富津館山道路によって、他地域から南房総地域へのアクセス性が向上。海水浴客や観光客の増加など地域産業の振興にも貢献した。
道路の開通や整備が進められたことで昭和時代の高度経済成長期に県経済が活性化。県内の有料道路は、県の中央部を貫く圏央道があることで効果が高まっており、2024年度の全線開通が待ち望まれている。

◆渋滞緩和へ整備進む
今後も県の経済や産業、観光のポテンシャルを上げるためには道路整備は重要課題だ。慢性的な渋滞が発生している千葉県湾岸地域では、「新たな湾岸道路」計画の基本方針を2020年に策定した。また、千葉県北西地域のさらなる活性化や都市間の連絡性の強化を目的に、国、千葉県、茨城県、野田市、柏市、我孫子市、印西市、白井市、取手市が検討会を設立して「千葉北西連絡道路」計画の基本方針を2022年に策定。今後の経済再活性化への起爆剤へと期待されている。
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