
東京湾の埋め立ては1590(天正18)年以降、徳川幕府によって、増大する人口の収容や干拓による農地確保を目的に始まった。

千葉県では、それまで第1次産業が中心であった県産業の工業化を進め、県民所得の向上や雇用機会の増大などを図るため、昭和20年代後半から半世紀をかけて、東京湾岸の浦安市から富津岬に至る遠浅の海を埋め立て、「京葉臨海地域」の土地を造成してきた。現在、面積約1万675㌶という広大な土地は、県の製造品出荷額の6割以上を担う一大工業地帯となっている。

◆県産業の工業化 京葉臨海地域の誕生
東京湾では明治時代になると蒸気船が導入され、船型の機帆船が沖に停泊し、小船による内港との連絡が多くなった。千葉市出洲地先では1910(明治43)年に都川河口と全面水域を浚渫(しゅんせつ)し、船だまりを設け、これに沿って民間資本で11万平方㍍の出洲埋立地を造成。荷上場を移して港湾としての初期整備を行った。
昭和20年代後半以降、県は京葉臨海地域のうち、千葉市中央区川崎町から富津市までを鉄鋼・電力・石油などの基幹産業を中心とした重化学工業地帯とするため、積極的な工場誘致を行った。
川崎製鉄や東京電力を端緒として大企業による工場の建設・稼働が本格化し、工業地帯として大きく発展した。

◆急激な人口増加に対応 大規模なニュータウン造成
昭和30年代後半以降、首都圏の急激な人口増加に対応するため、千葉市中央区(出洲港)から浦安市に至る地域では、工業団地とともに、学校・道路・公園・緑地などの公共公益施設を備えた街づくりが計画された。

地区ごとに、千葉港中央地区では千葉市の港湾整備・都市的施設用地が、稲毛、検見川、幕張A・B・C地区では大規模なニュータウン用地が、浦安地区では住宅用地、鉄鋼流通基地用地および大規模レジャー施設用地が、それぞれ確保された。
特に幕張A・C地区については、業務研究・文教・住宅用地などを配置した国際業務都市「幕張新都心」と位置づけ、街づくりを行い現在に至っている。
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