【千葉魂】福浦、重なった21年前の光景 変わらぬファンの姿に感涙

引退試合のセレモニーでファンに手を振る福浦=9月23日、ZOZOマリン
引退試合のセレモニーでファンに手を振る福浦=9月23日、ZOZOマリン

 「ヤバいよ。泣きそうだよ」。福浦和也内野手は球場入りすると開口一番、そう口にした。9月23日。この日の北海道日本ハム戦で自身の引退試合が執り行われることになっていた。慣れ親しんだZOZOマリンスタジアムの駐車場に愛車を止め、いつもの導線でロッカーへと向かった大ベテランの目は早くも潤んでいた。

 「運転をしているとまだ時間が早いにもかかわらず、たくさんのファンが歩いているのを見かけた。みんなオレのユニフォームを着てくれていた。駐車場の入り口にもたくさんのファンが自分を待っていてくれた。ウルッときたね」

 福浦が一番、驚いたのは関係者駐車場の入り口での出来事だった。そこには見慣れぬ光景が広がっていた。入口の両脇に多くのファンが福浦の入り待ちをしていたのだ。そして入ってくるのを確認するとドッと歓声が湧き起こった。「ありがとう 福浦」のメッセージを込めた特製横断幕を掲げ、同じく特製で作られた背番号「9」が書かれた大旗が振られた。想像をしていなかった光景が目の前に広がっていた。こみ上げるものがあった。

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 ふと、あの時の光景がよみがえった。それは1998年のシーズン。この年、福浦は近藤昭仁監督に大抜てきされる形で129試合に出場。打率2割8分4厘、3本塁打、57打点とプロでの活躍をするキッカケをつかんだ1年であった。

 なによりもこのシーズンは福浦にとって、そしてマリーンズファンにとっても忘れられない出来事があった。18連敗である。マリーンズはこの年、日本プロ野球史上もっとも長い連敗を記録した。

 「忘れられない。いろいろな事があったよ。勝ち越しても勝ち越しても逆転されたり。球場でおはらいをしたりとかね」

 その中でも一番、記憶に残っているのは連敗中に声援を送り続けてくれたファンのことだ。本拠地での試合に敗れ、肩を落とし帰宅するため選手駐車場に向かうと外にはファンが待っていた。罵声を浴びせられてもおかしくないと覚悟をしていた。

 しかし、ファンは選手たちを励まそうと帰るのを待ってくれていたのだ。そして歌ってくれた。うつむきながら球場を出る選手たちに歌で励ましてくれた。用意されていた横断幕には「マリーンズ、オレたちがついているぜ」と書かれ、声を枯らしながら歌ってくれた。

 福浦もその歌に勇気づけられた選手の一人だった。その時の光景と声は引退する今も決して色あせることはなく鮮明に覚えている。「あの時、駐車場で聞いたファンの歌声は今もしっかりと覚えている。あんなに負け続けていたのに誇りに思っていると歌ってくれた。そんなファンの皆さまに勝ってお返しをしたいと強く思った。自分にとってもマリーンズにとっても忘れられない年」

 だからこそ、その後の背番号「9」は勝利にこだわってきた。自分の成績よりもチームの勝利を喜び、どこまでもストイックに自己犠牲の気持ちを第一に勝ちを追い求めてきた。98年。それはここまで積み重ねてきたキャリアの中でターニングポイントとなる年だった。

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 月日は流れた。千葉マリンスタジアムはZOZOマリンスタジアムと名を変えた。あの年、若手だった選手はチームのレジェンドとなり本拠地で盛大に引退試合が行われた。チケットは発売すると同時にアッという間に売り切れ、多くのファンが引退を悲しみ惜しんだ。

 球場入りする際の光景とあの時、歌を歌って励ましてくれたファンの光景が交差し、特別な感情がこみ上げてきた。マリーンズファンは勝っても負けても、いつもどんな時も応援し続けてくれた。誇りに思い続けてくれた。その想(おも)いに応えるため打席に立ち続けた。福浦はファンの熱き魂を思い返し、目を潤ませた。

 ファンと共に戦った26年間だった。だからこそ誰よりもファンに愛された。これからは、ファンと共に戦い愛される選手たちを育てていく。新しいチャレンジが始まる。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)



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