【千葉魂】三家、野球ができる幸せ実感 プロ入りから8年で初HR

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先発だけでなく代打や守備固めでも出場し、チームを支える三家=ZOZOマリン
先発だけでなく代打や守備固めでも出場し、チームを支える三家=ZOZOマリン

 プロ初本塁打はカープ入りから8年。独立リーグを経てマリーンズで達成された。三家和真外野手が7月21日のファイターズ戦(札幌ドーム)でプロ1号本塁打を放った。スタメン予定だった角中勝也外野手が右腕の痛みを訴えて急きょ巡ってきたチャンス。それでも貪欲に機会を待っていた男は1打席目で結果を出した。フルスイングした打球は左翼席に吸い込まれていく。連敗中の重いムードが漂うチームを救ったのは苦労人だった。

 「いい意味でカープを見返したいという想(おも)いは常にあります。こうやってNPBに戻ってこられて、なんとかいい形でカープ時代にお世話になった皆さまに頑張っている姿を見せて恩返しがしたいし、『あいつやるなあ』と思ってもらえるように見返したい。いつもそう思っています」

 プロ初本塁打を打った際には携帯電話に80件を超える祝福の連絡が届いたという三家は想いを語った。

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 市和歌山高から2011年育成ドラフトで広島に入団。若者を待っていたのは試練の日々だった。1年目の7月。練習中に右膝の半月板を痛めた。8月をリハビリに充て9月に復帰も、再び同じ場所に違和感を感じた。10月に手術。1年目を棒に振った。2年目は春季キャンプには参加をすることもできず、夏場にようやく復帰。しかし、オフに待っていたのは戦力外の通告だった。

 カープでの育成2年間のほとんどはリハビリに明け暮れ、終わってしまった。野球をやめることも考え、悩んだが、高校時代の恩師や家族からは「まだ20歳と若いのだから可能性を探ったほうがいい」と背中を押された。そして信濃グランセローズで1年。石川ミリオンスターズで2年間、野球を続けながらNPB復帰の機会を狙った。

 独立リーグでの日々は衝撃の連続。練習をしたくても専属のグラウンドや室内練習場はなく学生などが使っている場所を借りて限られた時間にしか使えない。経済的にも非常に厳しかった。給料はシーズン中しか出ず、手取りで10万円あるかないか。だから、オフはアルバイトをして過ごした。引っ越し業、ホテルでの配膳、食品工場では白衣を着てベルトコンベヤーでの作業を手伝った。

 いろいろな仕事を朝から夜まで精を出しても生活は苦しかった。試合前の食事も白米を炊いて、ただそれだけを弁当に入れ込んで持参した。厳しい状況も復帰を信じ歯を食いしばり頑張った。そして16年秋、マリーンズの鴨川秋季キャンプでのテストを経て入団をした。

 カープでの育成選手としての2年間、そして独立リーグでの3年間。チームメートが味わったことがないような様々な経験を積んできた自負がある。野球にひたむきに取り組み、自分の生きた道を信じてきた自信がある。だから今、野球ができる幸せを誰よりも感じ、日々と向き合えている。

 「独立リーグは環境、施設が違う中、必死にやっている人がたくさんいる。その姿は一番目に焼き付いています。気持ちの面で特に勉強になった。いつでも独立リーグでの3年間を忘れずに気を引き締めてやっている」

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 ハングリー精神を養った独立リーグ時代。プロの門をたたいたカープでは三家には忘れられない出会いもあった。カープ在籍2年目。高校出のルーキーが入団をしてきた。一つ年上の野手ということで世話役を言い渡され、寮での生活のルールなどの指導を任された。よく練習をする選手だった。夜、寮の隣の室内に明かりがいつまでもともっている。のぞいてみると大抵、その選手が練習をしていた。今、カープの主力として活躍をする鈴木誠也外野手だ。

 「神っていると話題になりましたが、彼の活躍はまったく驚きではなかった。それほどよく練習をしていた。野球に没頭していた。どこまでも満足をせずにバットを振る姿は、その後の自分の人生の中でもずっと頭に残っていた。彼が活躍をしている姿を見て努力は報われるのだなあと思い、自分も頑張れている」

 室内で必死に打ち込む後輩の姿が脳裏に焼き付いていた。だから独立リーグでの3年間、必死に生きた。環境に弱音を吐かず、努力を続けた結果、チャンスが訪れマリーンズ入団3年目の今年、ついに初ヒットと初ホームランが生まれた。これからも、ひたすらバットを振り、地道な努力を積み重ね、機会をうかがう。努力を積み重ねる大切さと野球ができる幸せを誰よりも知っている男のサクセスストーリーはまだ始まったばかりだ。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)