【千葉魂】福浦、26年越しのマウンド 地元「習志野秋津」で始球式

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5月11日のイースタンリーグ・ヤクルト戦で六回に勝ち越しの2点打を放った福浦(右)と勝ち投手となった習志野高校の後輩、古谷=第一カッター
5月11日のイースタンリーグ・ヤクルト戦で六回に勝ち越しの2点打を放った福浦(右)と勝ち投手となった習志野高校の後輩、古谷=第一カッター

 あの日以来のマウンドに、福浦和也内野手は感慨深げな表情を見せた。5月11日、習志野の第一カッター球場で行われたイースタンリーグ・東京ヤクルト戦。福浦の地元でのゲームということで、試合前に始球式イベントが行われた。このセレモニーに合わせて習志野高校時代のチームメート16人と当時のマネジャーも駆け付けた。久々の再会を懐かしみ、旧友たちが見守る中、ボールを投じた。

 「高校の卒業式以来に会ったメンバーもいた。懐かしかった。ストライクが入って本当に良かったよ」

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 始球式とはいえ、あの日以来のマウンドだった。今季限りでの現役引退を表明している大ベテランにとってこの球場は忘れることが出来ない思い出の球場だ。当時は習志野秋津球場と呼ばれていたここで福浦の高校野球は終わった。1993年7月18日、野田北高校との三回戦。試合は3-3の同点のまま延長戦に突入する。延長十回。ピンチの場面でベンチから伝令が飛び出してきた。「歩かせて次のバッターで勝負」。ベンチから指示するだけではしっかりと伝わらない可能性もあると念には念を押して伝令を使って、マウンドにいた福浦に「外せ」の指示が出た。しかし、だった。魔が差したとしか言いようがないようにボールはストライクゾーンに吸い込まれていった。打球は右前にはじき返される勝ち越し打。これが決勝点となり、試合に敗れた。福浦にとって今も忘れることの出来ない苦い思い出だ。

 「なんであんな事になってしまったのか。その時の心理状態は思い出せない。スッと投げてしまった。その失敗した思い出が自分には深く残っている。3年間やってきて最後の夏。悔しかった。応援をしてくれた人もたくさんいて申し訳がなかった。みんなに泣きながら謝ったのは、今も忘れられない」。

 人は成功体験よりも失敗した悔しい経験の方が心にいつまでも残るものだ。43歳になった福浦はその時、ベンチの指示を徹底できずに敗れた事を忘れていない。まさかの失投を悔やんだ。

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 26年の月日が流れた。福浦は今もユニフォームを着てプレーをしている。昨年は史上52人目となる2000本安打も達成した。そして悔しさを残したマウンドに戻ってきた。バックには懐かしのチームメートたちが守った。あの場面で伝令を務めてくれた仲間の姿もあった。打席にも友が立った。キャッチャーは夏の大会の前に右ひじをけがしてマスクを被れずに悔し涙を流した気心知れた友が務めてくれた。みんなの前で今度は狙い通りにストライクゾーンにボールを投じた。スタンドから自然と拍手が湧き起こった。ずっと胸の中にあった苦い思い出がすっと溶けていく感じがした。

 「球場が小さく感じた。高校の時は広く感じた球場が小さく感じた。あんなに広いと思っていたのにね。月日の流れがそう感じさせるのかな。それともプロに入って広い球場をたくさん見てきたからかな」

 ベンチに戻ってきた福浦は少し感傷に浸りながらそう口にした。この試合で福浦は同点で迎えた六回1死二、三塁の場面、代打で出場すると中前に2点適時打を放ち、これが決勝点となった。勝ち投手は習志野高校の後輩でプロ1年目の古谷拓郎。ウイニングボールを手渡すと「次は1軍だぞ。近いうちに必ず行ける。1軍で勝てよ」とねぎらった。

 福浦にとってのあの日以来の習志野でのゲームは忘れられない形で幕を閉じた。野球の神様が本当にいるのではないかと思ってしまうほど出来過ぎのシナリオだった。プロ26年間で努力を積み重ねて、ここまで来た男へのご褒美のような幸せな一日。やはり野球の神様はいるのだ。ずっと、見てくれていたのだ。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)