本土決戦備え陣地構築 一宮町と大学生有志、戦跡調査し後世へ 地下壕測量、3Dモデルも 【戦後80年ちば】

地下壕の奥にある重機関銃の台座跡を説明する江沢一樹学芸員=一宮町
地下壕の奥にある重機関銃の台座跡を説明する江沢一樹学芸員=一宮町
重機関銃陣地壕の3Dモデル。左下が入り口で、奥に台座などがある(小林香一朗さん作成・提供)
重機関銃陣地壕の3Dモデル。左下が入り口で、奥に台座などがある(小林香一朗さん作成・提供)

 太平洋戦争末期、九十九里浜の沿岸各地には、米軍上陸による「本土決戦」に備え、砲台や司令部壕(ごう)などの陣地が築かれた。戦後80年の今年、九十九里浜南部の防衛拠点の一つとされた一宮町で、今も残る地下壕などの調査を町教育委員会と立教大の学生有志が続けている。風化しつつある戦跡を測量して記録として残し、後世に伝えようとしている。

(武内博志)

 市街地から離れた一宮町の丘陵地。草木に覆われた崖の斜面に、地下壕の入り口は開いていた。町教委が「本土決戦準備戦跡」と名付ける戦争遺跡群の一つ。上陸した敵兵を迎え撃つために掘られた「重機関銃陣地壕」の跡だった。

 少し身をかがめないと頭がぶつかる高さ。大人がすれ違うには狭い幅の地下壕を奥に進むと、やや広い空間に重機関銃の台座が造られていた。外への開口部があり、進行してくる敵兵をここか ・・・

【残り 1327文字】



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