小枝守氏が死去 67歳、夏の甲子園準V 拓大紅陵高・元野球部監督

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小枝守氏
小枝守氏
第74回全国高校野球選手権千葉大会で優勝し、選手に胴上げされる小枝氏=1992年7月27日、千葉市美浜区の千葉マリンスタジアム(当時)
第74回全国高校野球選手権千葉大会で優勝し、選手に胴上げされる小枝氏=1992年7月27日、千葉市美浜区の千葉マリンスタジアム(当時)

 拓大紅陵高校(木更津市)の野球部監督として、春夏通算9回の甲子園出場を果たした小枝守(こえだ・まもる)氏が21日午前9時7分、肝細胞がんのため東京都内の病院で死去した。67歳。東京都出身。通夜は27日午後6時から、葬儀・告別式は28日午前9時30分から、いずれも東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で。喪主は妻の弥生(やよい)さん。

 日大三高、日大を経て1976年に日大三高の監督に就任し、79年に夏の甲子園に出場。81年から拓大紅陵高で指揮を執り、2014年に勇退するまで春4回、夏5回甲子園に導いた。1992年の夏の甲子園では本県勢で17年ぶりとなる決勝進出を果たし、準優勝した。2016~17年には18歳以下の野球日本代表監督を務めアジア選手権で優勝、ワールドカップ3位の成績を残した。

◆指導の柱は「人間形成」 情熱尽きぬ改革者 【追悼・小枝守さん】

 高校野球取材で、何度お世話になっただろう。県内球児だった記者には雲の上の存在だったが、取材依頼は毎回快諾。記事掲載後には必ず丁寧な電話をいただいた。40歳も年齢が離れていたが、球場でお目に掛かるたび気さくに声掛けしていただいた。いつでも柔和な笑顔が、忘れられない。

 昨年2月6日。連載企画の取材でお話を伺った。指導者として尽きぬ情熱、高校野球の未来を本音で語ってくださり、あっという間に2時間が過ぎた。

 拓大紅陵高赴任時はグラウンドの草むしりから始まり、自ら鎌を持って生徒と汗を流した。当時は練習中の給水が御法度だったが、「選手のためにならない」と改革を断行。周囲から猛烈な批判を浴びながらも、有識者を回って意見を収集。給水のほか、エネルギー摂取用の食事準備など、現在では当たり前のことを他に先駆けて取り入れた。

 準優勝を果たす1992年夏の甲子園では、4人が勝利投手となる「複数投手制」も話題を呼んだ。エース完投が主流の常識を破り、新風を吹き込んだ。時代に合わせた指導と野球を模索。群雄割拠の千葉で名門に育て上げた。

 指導の中で常に柱となったのは「人間形成」という。「小手先の技術だけ教え甲子園に行っても意味がない」と、相手を思いやる礼儀や選手との会話など野球以外のことも重視。多くの教え子の心を動かした。U-18日本代表監督となっても信念は変わらず、脱いだ靴をそろえなかった選手には注意を促した。

 進化が続く高校野球の未来も見据えていた。ラッキーゾーン廃止など過去の事例を挙げ、タイブレークや投手の球数制限などは「昔と比べ気温も違う。認めるべき事は認めていく必要がある」と訴えた。

 毎週日曜日、小学生の孫とのキャッチボールが「幸せな時間」だったという。昨夏の100回大会は「これからの100年への節目」とし、「進化も必要だけど、日本の文化として不変であってほしい」と未来を描いていた。天国でも願っているはずだ。はつらつとした球児たちのプレーが、いつまでも続くことを。

(船橋支局長・小川洋平)

◆人として影響受けた方

 86年に春夏連続で甲子園に出場したプロ野球千葉ロッテマリーンズスタッフの佐藤幸彦さん(50) 野球だけではなく人としての成長という部分ですごく影響を受けた。指導のおかげで私たちの世代は今も頑張れている。今大学生の長男も拓大紅陵で監督に教わった。(訃報に)全員が驚いていると思う。

◆高校時代の野球、礎に

 選手として88年の夏の甲子園に出場した社会人野球新日鉄住金かずさマジック監督の鈴木秀範さん(48) 温和な方で甲子園の3回戦で敗れた時に「すまない」と、涙を見せたのが印象に残っている。高校時代の野球が礎となっており、何とか近づきたいと監督を続けてきた。今こうしていられるのも小枝監督のおかげ。

◆心の教育を重視

 89年から野球部の部長として小枝氏を支えた現監督の沢村史郎さん(53) 技術的な指導の前に心の教育を重視する方だった。ベンチに入れない選手のことをいつも気に掛けていた。19日に病院を訪れた際は「(拓大紅陵の)今いる子供たちのことをしっかり教育しろ」と声を掛けてもらった。

◆世界的視野の指導者

 県高野連の圓城寺一雄会長(59) 私が若い頃から多くのことを指導してもらった。偉大な指導者が亡くなりさびしい。18歳以下の野球日本代表監督なども務められ、世界的な視野で日本の高校野球の発展を考えていた指導者だった。まだまだ教えてもらうことがたくさんあると思っていた矢先の訃報で残念。