本の贈り物

■プロフィール
藤原あずみ イラストレーター。1958年長野県安曇野市生まれ。佐倉市在住。主な作品は「野あそびいっぱい 植物編」(萌文社、中山康夫著)、「お話とあそぼう」(一声社、末吉正子著)など。「第18回小さな童話大賞 山本容子賞」、「第9回ミツバチ絵本コンクール佳作」、「第48回千葉文学賞」など受賞。


「憧れ」 高楼方子「十一月の扉」

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 中二の夏休み、予備校で夏期講習を受けた。学校へ通う坂の途中には、白壁のレストランがあった。樺の木が二階まで枝を伸ばし、大きな窓は見晴らしがよさそうだった。

  「がんばって通って、最終日にあそこでステーキを食べよう。あの、二階の席で」。友人のひとみちゃんがきっぱりと言った。「うん」と私もうなずいた。

 二週間、行きと帰りに白いレストランを憧(あこが)れの目で眺め続けた。二階の窓には人影がなく、私たちが行くのを待ってくれているようだった。そして、とうとうその日がやってきた。特別にねだったお小遣い。おそろいで買ったTシャツ。一番いいスカート。少し気取って、大きな扉を開けた。

  大人の同伴なしに、本格的なレストランに入るのは初めてだった。映画の中の女の人みたいに、ナイフとフォークで優雅にステーキを食べよう。どきどきしながら革張りのメニューを開いたら、いろんな種類のステーキが並んでいた。しかも、どれも高かった。

  「どうしよう?」

  一番下の、一番安いのを二人で指さした。

  「これ、ください」

 やさしい響きの名前を持つこのステーキは、きっとおいしいに違いない……。だが、目の前に置かれた皿を見て、ひとみちゃんと顔を見合わせた。とんでもない勘違い! でも、口に出せないまま、そそくさと食事を終えた。レストランを背に、坂道を下りながら、「魚だったね」と二人で笑った。サーモンステーキ。ステーキはお肉だと決め付けていたのが失敗のもとだった。

  大人になりかけの少女は素敵(すてき)なものに憧れて背伸びする。憧れは、心を磨く魔法だ。失敗に終わることもあるけれど、少女は背伸びするたび魅力的になる。

 『十一月の扉』の爽子も中学二年生。弟の双眼鏡をのぞいていたら、不意にその家が視界に飛び込んできた。もみの木の木立の間からのぞく赤茶色の屋根の白い家。ひと目で心を奪われた。家の名は「十一月荘」。下宿屋だった。引っ越しを控えていた爽子は、親を説き伏せて、三学期までのふた月、十一月荘に下宿する。十一月荘の個性的で素敵な住人たちの中で、爽子は白いノートに、自分が考えたお話を綴(つづ)っていく。夢見がちな少女の心は、「自由と憧れ」の中でどんどん膨らんでいく。物語を綴ったそのノートを落としてしまい、拾ってくれた少年、耿介との間に芽生える恋。爽子が作ったお話の中の動物と登場人物とが絡み合う。とんでもなく甘い話になりがちなのに、そうならないのは、ファンタジーの縦糸に、しっかりした現実の横糸が織り込まれているからだ。

  物語の最後。十一月荘でピアノコンサートが開かれる。爽子がみんなに別れを告げる場面だ。もう会えないと思っていた耿介も、遅れてやってくる。

 『爽子はそっと耿介を見た。涼しげな目でピアノのほうを見ている耿介の横顔は、気高く逞しく見えた。ああ、どんなにどんなに見たかった姿。いつかどこかでこの曲を聴いたなら、私はきっと必ず、この姿を、この横顔を思い出すだろう、おばあさんになっても…。突然涙が出そうになった。すると耿介が、わずかに顔を動かし、爽子に向かって、かすかに微笑んだ。』

  誰にでも覚えがあるだろう淡い恋。作者の高楼さんはここが書きたくてこの物語を書いたのではないかしら、そう思いながら、私はここだけを何度も読む。そして思い出の中の私の「少年」の顔を思い浮かべ、かすかに胸を疼(うず)かせてしまう。

  【メモ】「十一月の扉」高楼方子(たかどのほうこ)作/リブリオ出版

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