本の贈り物

■プロフィール
藤原あずみ イラストレーター。1958年長野県安曇野市生まれ。佐倉市在住。主な作品は「野あそびいっぱい 植物編」(萌文社、中山康夫著)、「お話とあそぼう」(一声社、末吉正子著)など。「第18回小さな童話大賞 山本容子賞」、「第9回ミツバチ絵本コンクール佳作」、「第48回千葉文学賞」など受賞。


「ものがたる」 『驚きの介護民俗学』

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 犬を飼っていた頃、散歩中に、ひとりのおばあさんが走り寄ってきた。「八幡に帰るので、飛行場に連れて行ってください」。ひしと腕にすがられた。驚いていると、すぐ後から若い女性が追ってきて「○○さん、帰りましょう」と言ったので、近くの介護施設に入所されている方だとわかった。おばあさんは職員の女性を手で打ちながら「八幡に帰るの」と繰り返した。まだ若い職員は、叩かれながら涙を浮かべていた。やがて、おばあさんは保護された。地面に突っ伏し「八幡に帰りたいんだよう」と泣き叫んでいたその声が、耳にいつまでも残った。

 認知症の女性にとって、「うち」とは嫁ぎ先ではなく実家なのだ。歳月の長さに係わらず、その人が生まれ育った場所が「うち」になる。臨床心理学者の河合隼雄さんが「心の中にしっかりとした『うち』を持っていれば一人でどこに住んでいても、うろうろしなくてもすむかもしれない」とおっしゃっていたのを、ふと思い出した。おそらく誰の心にも「うち」はある。そこが「しっかりとしたうち」かどうかは、その人が「どう生きたか」に関わってくる。「どう生きたか」は、「どんな物語を紡いできたか」とも言い換えられる。

 悠和会「銀河の里」で発行している『あまのがわ通信』と六車由実さんの著書『驚きの介護民俗学』を、友人が貸してくれた。

 六車さんは、民俗学の研究者から介護士へと転職した経歴の持ち主。研究者時代のフィールドワークの技を生かし、入所者の聞き書きを行う。熱心に聴いてくれる相手を得て、認知症の老人が堰を切ったように自分を物語り始める。「回想法」と呼ばれる治療の為の聞き書きもあるらしいが、六車さんは、治療者としてではなく個人として、入所者の歩んで来た道にひたすら耳を傾ける。「驚きの」と形容される所以は、その姿勢にある。「わたしとあなた」の関係で聞き書きに臨めば、「あなた」が語る物語は新鮮で驚きに満ちてくる。介護する人、される人の概念は消え、そこには一対一の人間関係があるばかりだ。様々な生き方をしてきた様々な症状の人が集う介護現場で、ひと括りの方法論は通用しない。だが、時間とコストの関係で、ひと括りにせざるを得ないのが現状だ。それは老人問題だけでなく、社会問題すべてに共通する問題点だと気づかされた。......

 【メモ】『驚きの介護民俗学』六車由実・医学書院

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