防空壕と軍施設併用か 戦争の不毛さ静かに訴え 館山 赤山地下壕跡 【戦後80年ちば 記憶宿る地を訪ねて】(5)

自然豊かな小高い山の側面にある赤山地下壕跡の入り口=館山市
自然豊かな小高い山の側面にある赤山地下壕跡の入り口=館山市
赤山地下壕跡を見学する神余小学校の児童や保護者、卒業生ら。水島学芸員の案内のもと、公開されている壕内の250メートルをくまなく見て回った
赤山地下壕跡を見学する神余小学校の児童や保護者、卒業生ら。水島学芸員の案内のもと、公開されている壕内の250メートルをくまなく見て回った

 房総半島南端の安房地域は東京湾の入り口に当たり、明治時代から帝都防衛の要として、多くの軍事施設が築かれた。館山市の「赤山地下壕(ごう)跡」もその一つ。しかし、史料が乏しく、建設が始まった時期や運用の詳細は今も分かってお ・・・

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