2018年7月1日 05:00 | 有料記事
2011年8月7日。甲子園はどよめきに包まれた。七回表に1点を勝ち越した習志野は、なおも2死満塁の好機。「レッツゴー習志野」が大音量で鳴り響く中、静岡の左腕が4番に投じた2球目だった。三走の宮内和也が、迷いなく本塁へ突入したのだ。大胆なホームスチールを、緊迫した大舞台の初戦で平然とやってのけた。宮内は「あまり覚えていない」と照れくさそうに振り返るが、“奇策成功”の要因は「いかに1点を取る」かを模索してきた執念にあった。(敬称略)
中学時代に県大会を見て、習志野でやるんだって決意が生まれた。応援がすごいじゃないですか。その中でやりたかった。1年でベンチ入りし ・・・
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