若き巡査、惨状に絶句 「膝交え話すべきだった」 元県警警察官・唐鎌茂夫さん(73) 成田東峰十字路事件半世紀

千葉県警の機動隊員として、成田闘争の第一線で活動した唐鎌さん
千葉県警の機動隊員として、成田闘争の第一線で活動した唐鎌さん
東峰十字路事件を伝える1971年9月17日付本紙
東峰十字路事件を伝える1971年9月17日付本紙
成田空港建設反対の過激派から襲撃を受けた神奈川県警の警察官3人が死亡した事件が起きた東峰十字路の跡地。それぞれが倒れていたとされる場所に慰霊碑が建てられている=16日、成田市
成田空港建設反対の過激派から襲撃を受けた神奈川県警の警察官3人が死亡した事件が起きた東峰十字路の跡地。それぞれが倒れていたとされる場所に慰霊碑が建てられている=16日、成田市

 成田空港建設工事を巡り警察の機動隊と反対派が衝突を繰り返した成田闘争で、過激派に襲撃され神奈川県警の警察官3人が死亡した「東峰十字路事件」から、16日で50年となった。「応援部隊が襲撃された。第2機動隊は現場に赴いてほしい」。半世紀前、元流山署長の唐鎌茂夫さん(73)は命令を受け、現場に入った。23歳の若き巡査は惨状を目の当たりにし、事件の捜査にも携わった。自身を含めた警察官が、なぜ命懸けで闘うことになり、仲間3人は犠牲になったのか。制服を脱いだ今でも「国と農家がもっと膝を交えて話し合えれば、大惨事は起きなかったのでは」と思っている。

 事件は、反対派が所有する空港用地を取得する第2次強制代執行初日だった1971年9月16日の早朝、B滑走路予定地の東側にあった成田市の東峰十字路付近で発生した。十字路付近で周囲を検索していた神奈川県警神奈川署の大隊261人が、火炎瓶や竹やり、角材などを持った数百人規模とされる過激派と反対派の集団に襲われた。孤立した3人がめった打ちに遭うなどして亡くなり、数十人もけがを負った。

 反対派ら計55人が傷害致死や凶器準備集合などの罪で起訴されたが、3人が無罪に。残り52人は有罪となったものの執行猶予が付いた。

 唐鎌さんは事件当時、千葉県警の第2機動隊員。それまでも大規模工事や集会のたびに、過激派らから火炎瓶やこぶし大の石の投石、鉄パイプ、農具で攻撃を受けていた。体に火が付いたり歯を失ったりした隊員もおり、拉致されかけた仲間を奪還した経験もあった。修羅場をくぐってきたからこそ、まともに襲われれば命に危険が及ぶと認識していた。

 事件当日は同市天浪で、反対派農家の青年らが拠点としていた団結小屋の撤去に当たっていた。任務が完了し待機していたところ、警察官3人が重傷を負い搬送されたと連絡が入り、数キロ離れた現場で実況見分を行う捜査員の警護と物証を探すよう命令された。

 現場にはヘルメットや盾、防護衣など無数の機動隊員の装備が20~30メートルにわたって散乱していた。数年後、襲撃を受けた警察官から現場の状況について話を聞いたことがある。「逃げるために重い装備を置き、近くの民家にかくまわれて生きながらえた」

 72年春に旧成東署(現山武署)の警備課勤務となり、東峰十字路事件の捜査本部に派遣された。現場で倒れる3人の姿を撮影した写真を見た時は「殺された隊員にも家族がいた。なぜ空港を造るために日本人同士でこれほどエスカレートしてしまったのか」と疑問を抱いた。

 唐鎌さんは警備・公安畑を歩み、88年の県収用委員会会長襲撃事件では極左グループを逮捕した。反対派との対峙(たいじ)は続いたが、農地を守ろうとした農家と過激派を同一視したことはなかった。

 「農家も急な空港建設で土地や財産を取られてしまう危機感から、過激派を取り込んで闘わなければという気持ちになってしまった」。唐鎌さんはこう指摘し「軍事空港として使われるとか革命を起こそうと言う人と、土地を守りたかった農家の考えは違った」と振り返った。


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