権力行使に怒りと恐怖 双方犠牲者 「悲しい」 人生かけた反対闘争 【ナリタ30年 地域と空港】

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 一九六六年七月、新空港建設が成田市三里塚に閣議決定されたことから始まった反対闘争。反対派農家の軒先をかすめるようにジェット機が飛来する状況が続く。その中で現在も反対運動に人生をかける人たちがいる。

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 強烈なエンジン音とともに窓枠が小刻みに揺れる。成田空港中心部付近の農村地帯、成田市東峰地区で農作物加工会社「三里塚物産」を営む平野靖識さん(62)は、「騒音で人が生活できる環境にはなく、基本的人権すら守られていない」と憤る。

 六九年三月、大学生だった平野さんはリュックサック一つで当時の空港反対同盟委員長、故戸村一作氏の自宅を訪れた。「農家を守る闘いに参加したい」と話した平野さんは、その日のうちに駒井野の団結小屋防衛に加わった。

 七一年の第一次代執行。団結小屋の平野さんの目前で、二人の仲間が登ったままの松がクレーンで引っこ抜かれた。「抗議する者の命を危険にさらしてまで、国家権力を行使するとは夢にも思わなかった」と、当時の怒りと恐怖を今もまざまざと思い起こす。

 平野さんたちは空港開港直前に三里塚物産を設立。加工品用の農作物を反対派農家から買うことによる経済的支援を始めた。八三年には農家から同社工場の土地を譲り受けて地権者になった。「地権者になっても主役は農家」と、今後も支援に尽力する姿勢をみせる。

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 「私の人生は常に闘いだった」と半生を振り返るのは、三里塚で衣料品店を営む空港反対同盟・北原派事務局長の北原鉱治さん(86)。有事の際、空港が軍事利用されないよう、空港の存在そのものを認めない姿勢を貫く。

 戦時中は海兵として海防艦に乗船し、レイテ湾などの激戦地を渡り歩いた。「米軍の艦載機が通過すると、甲板に遺体がいくつも転がっていた」。戦争のむごさと、命の尊さを学んだことが、軍事転用を警戒して成田空港に反対する原点となったという。

 戦後復員してからは、三里塚で衣料品店を経営。新空港位置決定の閣議決定が住民の意思を聞かないまま行われたことに憤り、空港反対同盟に。「犠牲者を出さないで闘いたいといつも思っている。空港問題でわれわれと警察の双方に犠牲者が出たことは悲しい」。四十二年間闘争を続ける男の言葉が重く響いた。